いよいよ一般病棟へ  11月30日~12月1日

11月30日
この日は、母と弟の二人で実家へと行き、仕事の残りの処理をするために、早めに父の病室へと行ったそうです。
弟の仕事が休みである水曜日に合わせたそうですが、この日で大方の仕事には片がつくようで、もちろん病室へも弟は行きました。
だいぶ仕事が忙しかったようで、弟は一週間ぶりのお見舞いです。
一週間ぶりということもあって、その頃から見ると、すごく元気になったと言っていたそうです。
それを聞いては、会うのがますます楽しみです。

今日もいつ一般病棟へ移動になるのかと待ちながらのICUです。
車椅子に、昨日は20分乗っていたのが今日は30分、足踏みで足を少しずつ鍛えて、自分でベッドを斜めに起こした状態からベッドから脚を下ろして車椅子へと移動したそうです。
もちろん、まだ完全に自力で立てないので、つかまりながらではあります。
熱は朝は高くなく、36度5だったのが、部屋が暑いためか37度になったそうです。
管は、現在膵臓下に1本、背中に1本の合計2本です。膵臓下の方は、それほど出なくなって来たそうです。
足の指についていたセンサーの管は外されました。心電図を測るためのセンサーは胸についているそうです。
それから、尿管と点滴、これだけの管がついています。
まだまだ管はたくさんあります。
尿管は、オムツなのにどうしてつけているのかと聞けば、利尿剤を使っている関係もあってどれだけ尿になって排出されたかを量っているのだそうです。
なるほど、水分が溜まりすぎると肺に水がたまってしまったり、少ないと毒素を取り除けなかったり、体内の水分量を監視することもこの病気の経過を知るためには大切なことです。

この日は若い先生が来て病状について父に話をしたそうです。
主治医の岡先生は、管の消毒だけして、そそくさと行ってしまったそうです。
母の話によると、父は岡先生にもっと構ってほしかったそうです。
けれども、岡先生は医長でもあります。非常に忙しいんです。これまでは最重病人だったので、手間隙かけてくれていたのです。看護婦さんから話を聞いても、岡先生は他にもたくさんのやることのために忙しいそうです。
これは、よいことでもあります。岡先生が診なくても大丈夫なほどに回復しているということです。
岡先生も、父が座っていたときにはびっくりしたりもしていたそうです。

それから、父の布団のシーツの上には、バスタオルを敷いていて、交換を簡単にできるようにしているそうです。やっぱり、寝たきり状態なので、シーツまで取り替えなければならないとなると、大変だからです。

お見舞いが終わってから、母と弟は実家へと行きました。
主に、廃車が何台かしておかなければならなかったのと、警察のところで書類に関することで用があったり、工場のブレーカー落としたり。
それから、祖母の様子を見に行ったそうです。
父が入院してからというもの慌しく、母が様子を見に行ったのはこのときが初めてではないかと思います。
けれども、母は病院から薬を受け取るのを忘れて函館に帰ってしまったみたいです。

祖母のところへ母は、自家菜園した野菜をたくさん持っていき、それとスーパーで買ってきたおまんじゅうを持っていったそうです。
そこで母が聞いた話は、役場へ一人世帯の老人にタクシー券を配布しているから貰いにいったのに、扶養家族だったために貰えなかったという話です。
母は、外したいなら外してくれて構わない、扶養家族であることによって税金面で控除が受けられる額など微々たるものだから、気にしなくていいと言ってきたそうです。
すると祖母は、字がかけないとか、説明聞いてもよく分からないと言うので、母は母にその手続きをさせようと思っているのかと考え、そんな時間は無いと帰ってきたそうです。
わたしはそれを聞いて、「修叔父さんにやってもらえばと、言えばよかったのに」というと、「知らない、なんだか修叔父さんに相談したくないんじゃないか。こっちにばっかりやらせようとして、忙しいのに」と言います。
「ふぅん」と言いながらも、わたしも扶養から外れるということがどういう意味か、祖母は分かっているのかと疑問でしたが、恐らく目先のことしか考えていないのでしょうか。
弟も「なに、不要から外れればお金渡さなくても文句いわれなくっていいっしょ」なんていっていたそうです。


次の日、12月1日
この日の午前中に、母のところへ病院から一般病棟へ移動するという電話がありました。
11月1日にICUに入ったので、丸々30日間、丁度一ヶ月をICUで過ごしたことになります。
どうやら午後のようで、また電話するという話だったところをなかなか電話がこないために14時30分には病院へ行っていたそうです。18時くらいまでいたそうです。

前にICUへと入る前の病室が452号室で、今度は隣の451号室、4人部屋だそうです。
最初2人部屋へ入って差額を払ってもらうという話だったのですが、大部屋に変わったみたいです。
個室であれば他の患者への見舞い客などもなくて、感染症になる危険性も下がるけれど、個室でなければ差額を払ってまで2人部屋になる必要もないし、これはこれでよかったと思います。

父は真っ青な顔をして動悸もしていたそうですが、肝臓の薬を2袋一度に飲んだそうです。
すると、熱が38度6に上がり具合が悪くなりました。インスリンも上がったようです。
岡先生は高栄養のものだから、大丈夫だと思うのだけど、体に合わなかったのかもしれないと言い、CTをとってみることになりました。
その間15分に、母はテレビ用のICUの個室に居た1日で無くしてしまったイヤホンと、軟便パッドなどを病院の売店へ購入しに行きました。

CTの結果を、先生から聞くと、前と比べて炎症が起こっている白い部分が少なくなり、黒が多くなってきている。腸の場合も、以前は活動していなかったから映らなかったのが、現在は活動しているので白く映っているので、良くなっている、大丈夫と言います。なぜ具合が悪くなったのか分からないけれど、薬を替えてみるそうです。
具合が悪くて38度6まで上がった熱も、CTの後には37度代に下がったそうです。

父は流動食をちょっと多めに飲むと、すぐ下痢をしてしまうので、気をつけながら飲んでいるそうです。
昼過ぎの時点で便は2回までに収まっているそうです。前は15回とかで大変だったけれど、一般病棟でもこの調子だったらお尻かぶれがひどくなってしまうところだったので、少なくなってよかったです。
それでも、まだまだ本格的じゃないことには変わりは無いです。
徐々に食事もできるようにという話も出てきたそうです。
血液の値の話は出ないそうです。良くなっているから特にその話には触れないのでしょう。

一般病棟のベッドは、自分で起こしたりできるタイプのものではないので、父は看護婦さんに遠慮してやってもらわないようです。
そういう状態なので、パソコンを持っていっても自分で運べないとどうにも使えないために、もう少し後で持ってくるということになりました。

この日は薬を飲んで具合悪くしたために、その後車椅子に乗る練習も全くする元気がなかったそうです。
けれども、看護婦さんに、わたしに似た看護婦さんが居て「今すぐ看護婦やめなさい」と言った、という話をしたそうです。
余計な話をする余裕が出てくるだけ、元気になったのでしょう。
以前、ICUに入る前にこちらの一般病棟に居た看護婦さんで、父のことを覚えていてくれた方がいたそうですが、その看護婦さんも、ICU行く前よりも今の父の方が元気そうだと言っていたそうです。
この調子で、きっと病状も良くなっていき、ICU症候群も抜けて、それから体力もついていくことを願っています。

母へ、以前からお世話になっている町の福祉施設シルバーの鈴木さんから電話がありました。
転送しているので、父の携帯電話に繋がったのです。
母は店の電話恐らく間違い電話だったのだと思うといいます。
けれども話を聞いてみると、祖母が施設に入りたいという用件でシルバーに電話してきたのだが、状態が軽くて入れないということでした。要支援の程度が低いのですが、一応今回介護認定したといいます。
修叔父さんに説明したら分かっていたようだが、祖母は理解できない部分があったようです。
それから、再び施設に入りたいと電話したそうです。
入りたいといっても、お金もかかることです。シルバーの鈴木さんは以前祖母が250円のお弁当支援が高すぎてとてもじゃないけれど買えないと言ったということを覚えていて、お金のことも説明したそうです。

わたしは、昨日と今日の祖母の話を聞いていて、一度電話しないといけないと思って電話しました。
軽く45分ほど話することになりました。
所帯を別にして、タクシー券の助成を受けられるようにしてやればいいと思いました。
電話してみると、祖母はいたって元気そうでした。
見にきてくれるお友達がいるそうで、ごちそうが山のようになっているらしいです。だけど、雪が積もってからもきてくれるだろうかと言っています。雪かきサービスは頼んでいるので大丈夫かと思いますが。
シルバーの鈴木さんが来たので、タクシー券が欲しいけれど所帯を外れると店に税金がどれだけかかるのか心配だという話をしたけれど、分からないといわれたといいます。
わたしはそれに関して、それは店の収入によっても違ってくるし、そもそもシルバーの人じゃ専門外だから全然何のことか分からないといいました。
その上で、「母からも説明あったと思うけれど祖母一人が所帯から外れたところで税金面で優遇されている額なんて微々たるもの、数千円にしかならないし1万円にすらならないのだから、ぜんぜん問題ないし外れてタクシー券貰いたいなら貰えばいいって言っていたよ。それなのに、母が忙しいから自分で手続きしてといっているのに、やれかけないとか、なんとか言っているから修叔父さんとよほど話しにくいのかと思って心配している。もし修叔父さんに相談しにくいなら、わたしが今度函館に行って帰るのが5日月曜日なので、そのときに祖母宅に寄って一緒に役場に手続きしに行ってもいいよ?」と言ったのですが、祖母は税金の面で何も困ることが無いということを聞くと途端に明日にでも役場に行くと意気込んでいたので、「自分で行けるなら、早いほうがいいだろうし、明日行ってくるといいよ」と言い、「所帯を別にしたいとだけ、しっかり覚えて役場に行って。あと印鑑も忘れずに。そうしたらどこですればいいのかと聞けば、案内してくれるから」という内容を、何度も何度も説明しました。メモとして、紙に書くように言いました。
これでひとまず安心です。
ん?扶養が外れるということの意味なんて、わたしは説明したりはしませんけれどね。

こうして、わたしも息子を眠つかせなければならない時間をとっくに過ぎているので電話を切ろうとすると
「また電話して父の様子を聞かせて」というので、
「修叔父さんに電話してもらいなよ。」というと、父がムッとするのであまり行きたがらないと言います。
どうしてかとたずねると、父のお見舞いに修叔父さんとその奥さんのキヨ子叔母さんとで行ったとき、父が修叔父さんに対して嫌な顔して、キヨ子叔母さんに対して祖母が凍死すると言ったといいます。
祖母はそれを聞いて、「私なんてやっぱり居ないほうがいい、早く死ねばいいと思って・・・・」などと言い出す始末です。なぜそういう風に話が繋がるのか、恐らく自己中なので物事を真意で捉えようという風に考えが及ばないのだと思います。
わたしはこのことに関してこう言いました。
「それはね、父は心配なんだよ、一人で祖母が自宅に居座っているということが。せっかくわたしが急き立てて修叔父さん宅に祖母が行くようにしたのに、祖母が我侭だから自宅へ帰ると言い出して、それを聞いて修叔父さんもそのままあっさり自宅へと帰したでしょう?父は、こんなときだから一人で居ては心配だから多少不便でもここに居なさいとどうして祖母を引き止めないのかということに怒っているんだよね。祖母が家に帰ると言い出して、そりゃ良かったといわんばかりにあっさり帰したでしょ?昔から祖母は我侭なのは分かっているけれど、こういうときぐらい、お互い辛抱できないものかと思ったんだよね。心配だから怒っているんだよ。しかも、父はそれじゃ心配だからと、様子見に行って欲しいと修叔父さんに頼めば、一ヶ月に一回程度は行くよ、なんて言っていたそうじゃない。わたしが聞いても、こんなときにどんだけ放っておくんだろうって思ったけれど?」わたしはこのとき、父は祖母の葬式のことも考えているほど心配していると言おうかどうか迷ったが、それは言わないでおいた。
「修は仕事なんかで忙しいから。」「へぇ?修叔父さんの仕事ってそんなに忙しいの!?!?」
「それに遊ぶのにも、ほら」「ふぅん」
それから「父の言い方、今、びっくりするくらいつっけんどんなんだよね。それってわたしに対してもそうなんだわ。わたしも驚いて、母に聞いたよ。呼吸器とれてからいつもこんなしゃべり方するの?って。どうやら、普通のしゃべり方が超つっけんどんになってしまっているみたいで、なんか機嫌悪いんだろうか、とか嫌われているんだろうかと思わせる話し方なのだけど、こんな感じだというものだから、きっと具合悪くて話もパッツンパッツンという感じにしか出来ないんだねって、母とも話ししていたんだよね。だから、話す機会あれば修叔父さんにも言っておいて」というと、「たまにしか電話こないもん」と言います。
いや、わたしにとって祖母と修叔父さんの関係の深さなど、どうでもいいんです。
問題なのは、怒りがちで誤解を招きやすい両親の言動に対して、弁解をしておくことで、無駄な軋轢を解消しておくことです。

電話を切って、一部始終を母に報告しました。
すると母は、祖母がシルバーに2回も施設に入りたいと言ったけれど、それはどうしてなのかと言いました。
母としてはその真意が知りたいのでしょう。わたしは一瞬ん?という感じだったのですが、母は口に出していったりしていませんが、一度要介護認定されないから入所できないと言われていたし、お友達も来てくれて叔父さんのところに居るよりのびのび楽しそうに暮らしているという話から、元々がんとして施設になんか行かないと言っていたくらいなのに、どうして2回もシルバーに言うのか、その真意はわたしの父母が祖母を一人放置していると遠回りに訴えていると感じているのだと思います。
わたしは「今度そのうち聞いておくわ」とだけ言いました。
はて、そうは言ったものの、何を一体どうやって聞けばいいものやら。
まぁ、こういう話が筒抜けで、そうしたらわたしの父母がどう感じると思う?と言えばいいかもしれません。
祖母にもよく考えていただかないと困ります。

もういよいよ21時で息子が眠くなりすぎているので手短に話して切りましたが。
何やら、駐車場を東日本ハウスに交渉して確保したことについてもそうだったし、こういった交渉事にはわたしはとても長けているんだということで話がでているということを言われました。
思いつきと実行力があるという話です。
それもこれも役場の仕事をしていたお陰だと思ったりしていましたが、ふぅ~ん、とだけ言いました。頭はもう寝かしつけなきゃということでいっぱいだったので。
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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
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