第3の山を越えた!重症急性膵炎新たな回復の兆し 11月24~25日

24日、この日は母もお見舞いにいけず、誰も父のところへ行っていません。
23日まで5連続で毎日母とわたしでお見舞いに行っていていたので、少しさみしいような、それともちょっとしたお休みに感じているのかもしれません。

母はこの日、実家であるお店へと車を自分で1時間30分走らせて帰り、店の仕事を片付けました。
相変わらず店の前に「春まで休業します」と書いているのに、バイクを店の前に放置していったり、自転車を買ったお客さんが買うときに預かってくれると言ったと怒っているのだそうです。そんなこと言われたってと、母はぶつぶつ言いますが、お客様側からすれば、口約束でも言ったんだから、こっちの事情なんて関係ないんです。よく母は「そんなことも分からないのか」と、ぶつぶつ言いますが、分からないものなんです。わたしも何度も母に言っています。

それから、留守番電話にもせずに放置していた店の電話ですが、さっそく転送設定をしてみると、じゃんじゃん電話がかかってきたそうです。
そりゃ、何で電話に出ないと思って何度もかけていたお客様がいたからでしょうに。
母は一度かけていた転送電話を、どうせ受け取ってもレンタカーだって断らなければならないし、転送で受ければその分うちが電話代を払わないとならないから無駄だと言って切ってしまいました。それではマズイので、わたしがNTTに問い合わせたりしたけどイマイチ料金的に難しかったのですが、父の携帯電話に転送して父の携帯電話を留守番電話設定にすればいい、と発案したものです。
内容としては「春まで休業します・・・・」とちらりと言うとまたそこでも「そんな店の前の貼紙と同じじゃ意味がない」とか言い出す始末です。「電話してくるお客さんは貼紙なんか見ていないからいいんだって!」わたしはこういいましたが、それこそ普段の母の口癖ではないけれど、なんでそんなことも分からないんだって思ってしまう。まぁ、こういう時だから、気づかないことがたくさんあるのだと思います。

ドコモの携帯に留守番電話の設定をする際に、昨日弟に頼んだそうですが、自分でアナウンスを吹き込むことができず、3択でしかえらべないと言います。
わたしはそんなことは無いと思い、ドコモに問い合わせたら、やはりできるみたいです。
わたしは母に電話して、母のドコモの電話から

店においてあるたくさんの植木も、花屋さんに預かってもらう手配をしたのだそうですが、今花屋さんの方が預かりの施設が足りないので、準備が出来次第、後日再び立ち会ってお願いするようです。

集金や、タイヤ交換をタイヤ屋さんに依頼してその準備のための受け渡しなどを一人でやってきたようです。

年賀状の印刷も、「こんなときにやる気しない。年が明けてからでいいんじゃないか」なんて言っていたけれども、印刷会社に依頼してきたそうです。

よく知る方のところへ立ち寄れば、そのまま帰る訳にも行かずに事情を説明したりなんだりで、夜に帰ったようです。
ということで、23日は母も父の病室へは寄らなかったそうです。


24日、岡先生のほうから連絡がありました。
昨日の様子から説明してくれましたが、昨日の朝だけ38度2あったけれど、そのときそれほど熱があったのが逆に不思議なくらい、病状が良くなっているとのことです。他の時間はずっと36度台~あっても37度7だそうです。
ずっと下がらなくて高止まりの横ばいを続けていた白血球は9900まで下がり標準が7000~1万なので急速な回復です(ずっと17000台でした)。
それから、炎症物質も0にならなければいけないところをずっと7~11だったのに、3まで下がったようです。炎症レベルが3というのは、風邪を引いたときでも3くらいにはなるほどのものだそうです。随分安心できるレベルなのではないかと思います。

協会病院の先生が入れてくれた3本の管のうち2本はもう殆ど水が出てこないので、そろそろ抜こうと考えていて、替わりにCTで確認できる他の点在している水たまりを抜くために位置を変えたいと考えていて、本日15~16時に処置するとのことでした。
母はそのため17時すぎに病院へ行き、先生のお話を聞くそうです。

そうそう、函館協会病院の父の処置を担当してくださった先生は、どうやら院長先生で膵臓の権威の先生だそうです。弟が調べました。

こうして、夕方処置が終わった時間を見計らって母は病院へと行きました。
先生から処置に関しての説明を聞くと、4本あった水を抜くための管は2本抜いたそうです。
膵臓下に協会病院の先生が施してくれた管も、水が出なかったので抜こうと引っ張って下にずらしたら出てきたので、またしばらくここから抜くそうです。

肺に溜まった水も、一度注射器のようなもので抜いたけれども、その後利尿剤なども使っていたにも関わらず減りもせずに横ばいだったのが、ずっと少なくなったそうです!

父は、本人が元気だと言えるほど、今日は調子が良くなったみたいです。
三面鏡が置いてあったのでそのことについて母が聞くと、IUCの貸し出しのもので、リハビリの一つとして自分で髭剃りをしたそうです。
ついわたしがお見舞いしたときには、自分でリップクリームも塗るのも大変そうだったからわたしが塗ってあげたくらいだったし、文字もたくさんは書かずにノートにちょっと書いておくのがやっとという印象を受けていたので、すごい回復なのではないかと思いました。

おとといから、口から栄養を摂るようになり、流動食を胃へ鼻から点滴として入れる管も取り外しました。
鼻のチューブをとったら楽になったと父が言っていたそうです。それを聞いてわたしも、消化ができるのなら何故口から食べられないのかと疑問に思って先生に質問してよかったと思いました。
流動食は確かにすっぱくて美味しいものではないようですが、父はそれでも口から摂取する方が良かったようで、点滴だと少しずつなので満足感も全然無かったようですが、少しはマシになったようです。
1日500ccまでだった、水の摂取制限もなくなったようです。もっとも、水とは言ってもイオン化された特殊な水のままだとは思います。

セコムの警備は、会社に求められた休職届けをだしておいたのですが、改めて本人の意向を確認すると、元気になったらやりたいと言っていたそうです。もっとも母は父の負担にならないようにと、年金だけでも十分やっていけるとは言っておいたそうですが、まずは何かやることがあるほうが張り合いになってよいのかと思います。

実家の裏の別宅に住んでいる、父の母であるわたしの祖母について、わたしが一生懸命説得して函館の叔父さん(父の弟)宅へ行くようにして、一旦は函館に居たのですが1週間と持たずに自宅へと帰っていたことを、母は父に話しました。これから雪が積もったら、誰も雪かきする人いないし、一体どうするのか、また91歳なのにたった一人で住んでいてどうするのか、などなど心配事は尽きません。
母は、祖母が「ケアハウスに相談しようと思うのだけどどうしよう・・?」というような相談をしてきたのだそうですが、母は「父のことと店のことで手一杯だから、自分のことは自分で考えて、自分のもう一人の息子である函館の叔父さんに相談してください」と言ったそうです。
父はそれを聞いて、「どこまで心配かけるんだろうな」と言ったそうです。
母も、「心配かけるようなこと言っちゃってごめん」と言ったそうですが、やはりこの心配もこのときばかりは良い薬になってくれることを願っています。

この日母が父に面会したのは処置後だったために、まだ麻酔薬が完全に抜け切っていなくて、うたた寝状態で話していたそうです。
昨日もおとといも、窓側で父の向えに新しく入ってきたおじいちゃんが、兵隊のときに号令かけていたときのことを思い出して四六時中ごちゃごちゃ言っていて、うるさくて眠れないということも影響しているかもしれません。ことに夜になるとそのうるささは拍車をかけてくるのだそうです。部屋の回転が速いICUなので、早く別の部屋になることを願うばかりです。

危篤ということで呼ばれた翌日から、鎮静剤をずっとかけていた頃に、わたしが耳元で大きな声で色々話しかけていた性か、父はわたしが毎日のようにお見舞いに来てくれたというのだそうです。
母は「薬で寝ていたときは3日、今回は5日だったから、毎日ではない」と言いました。
けれどもちょっとの差ではありますが、薬で寝ていたときは4日行ってます。
わたしがこうしてお見舞いに行けるのも、ICUに入れない息子怜をきちんと面倒みてくれる夫が、休みを取ってお見舞いに当ててくれているからなんですけれどね。
母はわたしに「ちょっとしかお見舞い行っていないのに、票稼いだね」なんて言います。
自分のほうがよほどうちの夫よりも感じ悪いこと言っているとは気づかないのでしょうか、不思議です。

母は、明日は車検受け渡しの関係でまた実家へ行かなければならないので、もしかしたら時間がかかってお見舞いにこれないかもしれないと伝えたそうです。
お歳暮には毎年丸大ハムのお得なセットを頼んでいたのだそうですが、この際不要かと父に相談したそうで、わたしもそれは不要だと言いました。
他にも、廃車にする車がたくさんで、父が病院へと乗ってきた車もその一つなのですが、お客様から預かった廃車予定の車も順次廃車にしていかないとお客様へ税金がかかってしまうので、母のやることはたくさんあります。

わたしが先日19~23日にお見舞いに行っていて、22日に先生から聞いた話では、横ばいで良くはなっていないという話だけで、悪くはなっていないだけマシかと思いながらも随分がっかりした覚えがありますが、今日は一気に容態が良くなったようで、本当に嬉しいです。
この調子で、感染症などもおこさなければ、間違いなく順調に回復できるという兆しです。
急性重症膵炎の死亡率は、発症後1ヶ月を越して2ヶ月目になると8%までに激減するのです。死亡例の半数は発症後2週間以内の早期死亡であり、主な死因は循環不全に伴う臓器不全です。一般に後期死亡例は、主に感染症合併症、特に感染性膵壊死に起因する場合が多いので、この辺を乗り越えられればまずは良し。現在、臓器不全や膵壊死などはおこっていないので、まずは落ち着いていると考えて良いかと思います。

けれども、急性膵炎の機能的予後に関しては、3分の1から半数に内分泌的あるいは外分泌的機能障害(糖尿病、脂肪便)が起こるが、全身状態はおおむね良好で、通常の社会生活を送っているという報告が多い。脂肪便は経年的に軽快する傾向があるけれど、糖尿病は悪化するという。急性膵炎の内分泌障害は、外科的切除により起こるという主張もあり、重症膵炎に対して保存的治療を行った群と、外科的切除を行った群とで、インスリン分泌能に差がみられてという。父の場合は外科的切除はしていないので、糖尿病の心配は少しはすくないかもしれません。
重症急性膵炎を対象とした全国的な予後調査では、12年後15%が死亡(これって6~7人に一人ってことです。)、再発が22%、慢性膵炎への移行が24%、糖尿病が13%であった。死因としては悪性腫瘍が最も多く36%、一年以内に再発を経験した症例が46%であったといいます。
基本的に膵炎は飲酒が原因の場合が殆どです。父の場合は飲酒も原因の一つなのかもしれませんが、検査のせいということが多分にあります。しかしやはり原因の一つと考えられる禁酒をするに越したことはないようです。

第三の山を乗り越えたという感じです。
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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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