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しばらくあえなくなるよ  11月6日

6日、この日はわたしが千歳に帰るため、朝10時30に函館へ出発し、お見舞いに行きました。
アロエは2枚分。いつものように、新聞を受け取りに行きアロエを収穫すると、祖母は旅行準備をしています。函館の息子宅へしばらく行くことになり、8日に迎えに来てもらうとのことです。電話して話がついたようで、良かったです。

このときまた、祖母は言いました。絶対に思っているだろうなと予想していたことだったけれど、まさか言葉に出して言ってくるとは思いませんでした。内容は、祖父が倒れたときのことと、現状を比較しての僻みです。祖父が倒れたのはわたしが小6~中1のころでした。家も、祖父の反対を押し切って新築したのです。祖父が危篤のとき、日中だったのでお店を空けれずそれでも父は急いで駆けつけたと、母はいっていました。長く入院していて、病院もあちこちへと替わっていました。
祖母は、祖父のときは全然だったのに、今度はみんな一生懸命やっていると言います。
わたしもそれにはひと言ならず、言わせてもらいました。「じいちゃんのときとは事情が違うよね。父は急に危篤で、店のこともそのままにしておけばお客さんに迷惑かかっちゃうからみんなで何とかして片付けないと、母一人じゃテンパッていて全然だめだろうし、何かやれることがあると思うからわたしも一生懸命やるだけで、じいちゃんのときは店なんかやっていなかったからみんなで協力しなければないものもなかったし、長期にわたることだったからね、それでも毎度時間があるときにはお見舞いにいっていたと思うけれど。わたしは当時中学生で、何にも分からなかったし、病気とか何とか色んな民間療法なんかも知らないから役に立てるとも思わなかったし。だから今の下の弟を見て、彼は言うよ、役に立てないから別に急いで駆けつけても仕方ないって。わたしも役に立てないと思っていたら、何もしないし駆けつけないし。だけどこの人、うちの父だからね、祖父とはまたちょっと違うんだよ。しかも、この病気、難病で国の研究対象にもなっている病気ではっきりとした治療法が確立していないというから、わたしでも民間的な方法でなにか気休めになる方法があるのではないかと思うから一生懸命やるだけで。」
それに加えて、祖母はよほどその頃新築した家が気に入らないらしく、新築した家が大事だったから祖父に対しては全然だったと言い張ります。その新築した家が風が吹いたらゆらゆら揺れてと、笑って言います。わたしはそれを聞いて、なんだか祖母が哀れになりました。わたしの父だって、祖母にとっては息子なんです。それをこんな風に僻み半分でしか物事見れないというのはどういう脳みその使い方をしているのだろうかと。母だって、子ども3人もいて、店もあっていろいろ忙しい思いをしていたのに、割と毎週のように週末お見舞いに行っていたのは覚えているんです。わたしはため息混じりで祖母を見ました。もうこれ以上は言う気もありません。毎度このような発想でしか物事言ってこないからです。それでも、一旦頭にきて途中で帰ったけれど言い足りなくて出直したのですが。わたしはこの手の話は決して怒りながら言ったりはしませんが、普段からこんなことばかり聞かされている父母は、いつもイライラして怒っています。

そして、母は喉が痛いというので、マスクをして出かけました。マスクにはティーツリーのオイルをたっぷり染み込ませました。ティーツリーのオイルは、インフルエンザですら殺菌するほどの強力な殺菌効果があるからです。
わたしは次の週末に来れることを伝え、母は喉が痛いのでしばらく来れないと伝えました。弟は営業だし、それまでちょくちょく来れると思うとも、伝えました。できればわたしは仕事もしていないことだし、しばらくこっちにいられたらいいのですが、ICUは子どもが入れないため、子どもの面倒を見てくれる人がいないと困るのです。ということで夫の休みのときにまた来れればと思いました。
まだまだ呼吸器をつけていて、鎮静剤も投与されているのですが、本人は気持ちを伝えたかったのか、母とわたしの手をそれぞれ握りました。

容態は、良いようです。血液の数値も全般的に良くなってきています。ただ白血球だけが上がっていると。白血球は依然上昇し続けています。本日の場合は大腸まで炎症が広がっているので口径でステロイドを投与したことに関係しているのではないかという見方でした。

昨日より調子がいいかと聞けば、昨日は大きくうなずいたけれど、今日はうなずかず。逆に悪いかと聞いても、変わらないかと聞いてもうなずかず。けれども、医師がおなかを押して、痛いかと聞けば昨日は痛がったのに今日は痛くないと言った!
そしてわたしは夫の仕事が始まってしまうので一旦千歳に帰らないと、ICUへは小さい子を連れて入れないし怜の面倒を夫にみてもらうしかないから、しばらくお見舞いにこれないけれど、次の週末来るからねと言いました。「そうか・・・」という感じの顔をしていました。
それからこれは言い忘れてはいけないと思い、「元気になったら今までみたいにぷんぷん怒らないで少し優しくするって言っていたよ」と、母が言っていたことを伝えました。母はそれを聞いてまたぷんぷん怒り口調で「それは元気になるための励みだわ!」なんて言っていましたが、車での移動中にわたしは確かに聞きました。

それまでは居て当たり前のように思っていた存在が「危篤」という状態を経て、当たり前じゃないということに気づかされると、これまでのあり方を考え直したりもするものです。このまま回復に向かって、普通の生活が出来るようになったとしたら、ひょっとしたら何も起こらず普通にある日突然生命の幕を閉じるよりも、これを境にこれからはずっと有意義な人生を遅れるかもしれません。
それは、本人にとってだけではなく、周りにもってもそうなのかもしれません。

その後、別室で医師の説明を受けてから、足りない介護用オムツの買出しに行ってから戻ると、父は眠っていたので、そのまま帰りました。

実家へ帰った後、荷物を積み込みそのまま千歳へ。千歳へは夫が運転して行き、途中で交代しました。支笏湖の道路を運転していたとき、なんか大きな人影みたいなのが道路の真ん中に見える・・・と思ったら、近くに行くとなんとも大きな雄鹿が!!ちょっと横に避けながらスピードを落として、それから横に来たときに「ビッ!!」とクラクションを鳴らすと、跳んで逃げていきました。ぶつかってこなくてよかった。
怜は寝ていたけれど、鹿に出会った頃には起きていて、鹿を見ることが出来ました。
ずっと温泉街は寝ていたので途中で温泉に寄ることも無く、そして千歳近くで目覚めて恵庭のお風呂に行くと言い出し、恵庭へ行くと、露天風呂が工事中だというので入らずに自宅で入りました。ラッキーで夜ご飯を買いました。「こんなのじゃ体に悪くない?」と夫は言うけれど、疲れていてとてもじゃないけれど、食事の支度なんてできないし。

帰る途中、実家付近のホーマックでアロエベラを購入。前日見に行ったときには小さい鉢しかなかったのに、今日は大きな鉢があったので迷わず購入!!車にやっと乗るサイズでした。そして、祖母の家のアロエを昨日一旦実家のほうへ移していたのですが、水をやらないとダメだとかいうけれど、母も家を空けるし、何か言われてもと思うので、祖母宅へ運んで、返しました。
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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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