父の危篤の知らせが! 11月2日

2日、その日の朝9時頃母からわたしのところへ電話があり、ICUに移ったけれど容態は安定していると医師が言っていると伝えてくれました。連絡があったのは2日だったのでずっとこの日にICUへ入ったのだと思っていたのですが、前日1日からすでに移っていたようです。
翌日3日から4連休だったので元々実家へ様子を見に行く予定をしていましたが、予定を早めて夜に行くと昼頃電話したところ、大丈夫だから明日でいいと言ってましたが、夫が帰ってきたら事情を話して夜でかけるつもりで、お土産を買いに長沼の天然工房パン屋さん POTORI BAKERY へ行ったり(休業日でしまっていたので、千歳のパン屋さんけめぱんへ行きました)、お友達のところへ用事を足しに言ったりしていました。

そのお友達のところで、携帯電話に電話がなりました。16時29分でした。母からです。
なんだか嫌な予感がして電話に出ると、危篤なので五稜郭病院まで今行く、とだけ母は言って電話を終わりました。わたしも急いで自宅へ戻り出発準備をすると共に夫へ電話を入れました。電話に出なかったので、夫の実家にも一応お知らせしておかないといけないかと思い、電話している間に夫から折り返しがあり、そしてすぐ帰宅してくれました。
このままパッと出かけても、子どももいるし、元々4日間の予定だったので長くなるかもしれないと思い、一応の準備はしていきました。
その間にも色々考えていました。危篤って、ほとんど助からないのでは・・・!?せっかく行っても会えないのかな?せっかく着いても、喪の準備をするためにまた千歳に帰ってこないといけないのか!?いや、持ち直してくれるかな!?う~ん、もっと親孝行しておけば良かった(TT)考えてみたら、最後に話したことってなんだったっけ?母に用事があって、電話に出た父に「替わって」とだけしか言っていない。これじゃああんまりだよ。神様、なんとか父を生きながらえさせてください。。。たくさん、たくさん、心の中で祈りました。普段からなんにもしないわたしなので、こんなときですら祈ることしかできませんでした。

出発したのは18時です。
丁度、車に乗り込もうとしたとき、普段は函館で働いていて近くにいるにも関わらずこの日に限って名古屋に出張していた上の方の弟から電話がありました。なんでも、函館への飛行機は一日一便しかなくて直接帰れないので千歳に来るのだとか。これから飛行機が出るといいつつもまだ車を出していなかったのわたしの言葉を聞いて弟は「よかった」と言いました。
ところがいつ飛行機がでるのか聞くと、飛行機に乗れるかどうかも分からないというのです。いつでるのかはっきりしていればまだ時間によっては待っていようかとも思ったけれど、これを聞いては「そんなの待っていられないよ」と言って、車を走らせました。
まだ出ていないといったのひと言に良かったと言っていたにも関わらず、我ながらひどい姉だと思いました。
高速道路に乗って、走りました。
運転は夫です。
けれどもこのままじゃ夜千歳に着いても、列車があるわけでないし、タクシーじゃ馬鹿にならないし、わたしも色々考えてました。そうだ、札幌の下の弟には連絡がついたか、まだ出ていなければ一緒に乗ってくれば?と言えば、電話に出ないといいます。じゃあ、きっと運転中で電話に出られないんだね、と二人で勝手な推測をしました。実際は仕事中で電話に出られなかっただけでした。
そうだ、千歳にはレンタカーがたくさんあるからと、メールしようとしたところ、レンタカーを会社の人づてで営業時間外対応で手配したと連絡がありました。よし、これで一安心。
途中で夫と運転を替わりました。運転中も祈りながらの気持ちは変わらずでしたが、ふいに途中からなんとなく持ち直したのではないかと感じ、心が軽くなっていました。いつ電話が来るかとまっていました。
そしてあと少しで実家のインターというところで、危篤を一時回避して持ち直したので、母も一旦自宅に戻るので待っていて欲しいというので、高速から降りて、実家へ行きました。母から危篤回避の電話があったのは20時14分、実は弟に電話してから自宅へと戻っている途中の信号待ちで電話してくれたらしいので、本当に危篤だった期間は2時間程度なのかと思います。それと、普段実家までは高速道路使っても3時間ほどのところを2時間ほどで着きました。
良かったと胸をなでおろすと同時に、母に弟二人に電話したか聞きました。名古屋にいる上の弟には先に電話して、わたしは明日くるのだとばかり思っていたから、しばらくたってからもしかしたらこっちに向かっているのかと思って電話したのだといいます。じゃあ、札幌にいる下の弟は?きっとうちより先に出ているはずだから、もう実家近くか、過ぎているかもしれないから早く電話してやってと言いました。
ところが母が電話すると、弟はまだのんきに仕事していたようです。曰く、別に行ったところで役に立てるわけじゃないとか。そこで母は下の弟に千歳周りで上の弟を拾ってから実家へ来るように言いました。上の弟は丁度飛行機出発前だったので連絡すると、レンタカーはキャンセルできないの一点張りでした。後から話を聞けば、職場の人に営業時間外対応してもらったり色々からんでいてキャンセルは出来なかったようです。

車では一時間ほどなのか、母と祖母が乗った車が帰ってくるのを待っていました。4才の息子は眠っています。夫は、温泉に替わりばんこで行ってはどうかと提案してきましたが、実家へ行くときはいつもバスタオルを借りているものだから置いてきてしまったことを伝えると、えらくがっかりして怒ってたようです。お風呂道具持ってきただけでも良かったじゃない、とわたしは言ってました。

そして、名古屋からの上の弟のほうは夜12時ころ、下の弟は1時ころに実家へそれぞれ車で到着しました。
下の弟は、せっかく千歳周りで空港のすぐ傍まできたら、「お迎えいらない」と上の弟からキャンセルの電話を受けたらしく、もう途中で高速道路から降りて下道を通って実家へきたようです。
わたしもそのときは思いつかなかったけど、千歳にわたしの自宅があるので、レンタカーをキャンセルできないというなら、下の弟の車を千歳のうちの駐車場に置いて、レンタカーで一緒に乗ってくればよかったのです。
なんだか、こういう時って一生懸命できるだけ落ち着いて考えるようにはしているつもりではあったけれど、一つ考えが及ばなかったりするんですよね、残念。
それでも、乗り合わせてくるとその後の車に不便するということで、それは失敗とまでは言われませんでしたが。

しばらくみんなであれやこれやと話をしていました。

上の弟も一旦自宅にいて話をしたけれど、下の弟が到着した後しばらくして、そのまま函館の自宅へと向かいました。

あっという間のような、長い一日でした。
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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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