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五稜郭病院の悪い噂になってしまうけれど  12月21日

重症急性膵炎を患って、函館五稜郭病院から協会病院へと引越しをした父。
協会病院ではまだ一週間も経っていないけれど、経過は良好です。

昨日20日の18時ころから、膵臓下に3本の太い管を入れて、悪い水を抜くための道を作りました。
悪い組織がスポンジ状で、管から水が出やすいわけでもなければ、すぐ出ていくようなものでもないようです。
今後も、何度かこういったドレナージュをするということで、本人には痛い思いを何度かしてもらわないとならないようです。

炎症係数(CRP)というものが、17日には15.3あったものが、昨日20には13.9に下がりました。
このまま下がればいいのですが。
膵炎発症時の一番安否が気遣われたときで、炎症係数は11でした。
風邪を引いたときで、3程度で、このくらいまでは一旦下がっていたのですが、五稜郭病院で途中から高熱が続くようになり、今回協会病院で診てもらえることになった次第です。

栄養状態が悪く、体力がなくなってしまうので、固形のものを食べるようにしているのだそうです。
昨日はトイレに2回程度で、お腹の調子も、やはり固形物の方が良いようです。

点滴の場所も、右の肩の下の方へと移動したそうです。
なんでも、管という管は点滴も含めて全て定期的に移動させなければいけないのに、五稜郭病院では点滴ですら一回も移動させていませんでした。
協会病院へ移動後17日と19日の2回もお見舞いに来てくださった誠意のある岡先生のことを悪く言うことになってしまうのも難ですが、こういった初歩的なことに気づかずに原因不明の熱が続くといっていては困ったものです。
管には、細菌が付着していたようで、現在これが何の菌なのか培養して調べているところのようです。
そして、分かり次第、対策を打つという感じです。

今回の処置は、元北大病院のICUにも勤めていらっしゃったという鬼原先生という若い先生が担当してくださったのですが、父は、その手際のよさに大変感心していたそうです。

東京に居る母の姉は、内科の先生はCTの見方もよく分からないもので、ポリープなんかも外科の先生がやるときちんとできるといっていたそうです。旦那さんが医学博士なので、そういった事情にも詳しいのです。

父の現在の状況は、術後すぐには管を固定できずに枕などをあてがって、横向きに寝ている状態だそうです。
明日には固定できるとのこと。
痛み止めも、我慢しても仕方ないので、どんどん使っていくということです。

この日は父は、五稜郭病院のICUに居た時のことを母に話していたそうです。
昨日まで孫がお見舞いに来てサッカー見ていた隣のわりとしっかりしたおじいさんが、急に息が出来なくなって、看護婦さんだけが来て、父の居た4人部屋の病室からそのまま連れて行かれたといいます。
翌日、新聞で、その方が亡くなったことを知ったそうです。
また、斜め向かいの方も、突然連れて行かれて、やはり新聞の欄に載っていたそうです。
元々ICUの部屋自体、入れ替わりの激しい場所でしたし、ICUに来た時点で助けようのない状態の方もたくさんいらっしゃるのだと思います。
しかし、そういった非常の事態にも来たのは看護婦さんだけだった・・・・病室を替えてからは医師も来たのだと思いますが父の目からはそのようにしか見えなかったことや、一緒の部屋に居た方々の訃報を次々と新聞で知ってしまうとうことは、なんとも心細かったに違いありません。

熱は上がっていますが、原因も菌であるということが突き止められ、更に調査が進みそうだということもありますし、今回、鬼原先生が処置してくださって全身麻酔から醒めるまでに、院長先生が2回も父に会いに来てくれたりというところなどにも、嬉しく思っているようで、現在は父の気持ちの中でも不安よりは希望が大きくなっているようにも思います。

この日の父のリハビリの様子は、これまで聞いていたベッドから車椅子へ移動するとかその程度しか話を聞いていなかったので、少々驚きました。
点滴を持って歩きながらではあるけれど、片道軽く10mほどは歩いたといいます。
母も、そういった様子は初めて見たようで驚いていました。

すっかりやることがなくて、ちょっとボケているようです。
ご飯に何を食べたかと聞くと、シュウマイで他には思い出せないといったそうです。
えびだったのか、カニだったのか、肉だったのかと聞くと、肉シュウマイだったと言います。
熱も最近は体温計が無いためにはかったり記録したりしていないため、随分のんびりしているようです。
メニューを確認してきた母は、肉シュウマイではなくカニシュウマイだったと言います。

熱は36度2程度で薬は使っているのかもしれませんが大分落ち着いたねと看護婦さんも言ってくれたそうです。

この日わたしは、ツタヤに出かけた際にバーゲン本の棚に「75周年記念2010年阪神タイガース写真集」を発見しました。
父は、大の阪神ファンなので、病室での退屈しのぎになるかと、購入しました。
定価2500円が20%オフで2000円でした。
父がいらないと言えば、amazonで売り払えばいいかと思い調べてみると、この写真集は現在中古本しかなくて、しかもタイガースの写真集といものは毎年発売されているわけではなさそうでした。
ICUから出たらまずはお祝いだと思っていたのですが、造花なんかを持って行ってもパッとしないし、何がいいかと悩んでいた矢先にいいものを発見しました。
一応、母に聞いてみると喜ぶのではないかということでした。
その後母は病室へと戻り、父に「ねこ(わたし)が阪神の写真集買って、いらなければ売るって言ってるよ」と言ったら、下向いて、何度かニヤッとしていたと言います。
母に、「要るとか要らないとかは言わないの?」と聞けば、
「言わなくてもわかるっしょっていう感じなんでしょ?アトムでも阪神グッズでも何でも集めている人だもの」
と言います。
よかった^^さんざん夫に「そんなの要らない、嬉しくないと思う。自分がワンピース(夫が好きな漫画です)の本貰ったときはぜんぜん嬉しくなかった」と言われていたので。

気が付けば、26~28日にお見舞いに行く予定なので、あと4日後には会える予定ではあるのです。
今まで2週間に一度訪問するという形なのに、随分時間がたつのが早く感じます。

そうそう、夫が1月6日から3月15日まで、勉強会のための出張が入ったので、その間行こうと思えば函館に怜と二人でいけます。
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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

大オタカヅケ(お片づけ)とバトリオコイン

先月5才になった息子、怜は、近所のお友達のおにいちゃんから、ポケットモンスターのバトリオコインを何個か貰ってから、すっかり「バトリオコイン」の魅力にとり憑かれてしまいました。

「バトリオコイン」とは、プラスチックのコイン型のものに、ポケモンのキャラクターが描かれているもので、ゲームセンターなんかのゲームに使えるものらしいです。
わたしはフリーマーケットに出かける時には息子に100円のお小遣いをあげるのですが、これまで息子はフリーマーケットで見かけると、安くて大量に入手できるものを買っていました。大抵、息子は買い物するけれど、わたしは見るだけでおしまいということの方が多いんですけれどね。

コツコツ集めて現在17個ほど持っています。持っているだけで、使い方すら親子そろって知らないんです。

そんなある日、怜は、いまだかつて無い勢いで、部屋と押入れの絵本とおもちゃを整理し始めました。
これまでであれば、これを捨てていいかと聞いても、これもあれもダメという返事しか聞かなかったのに・・・!一体この勢いはどうしたものかと驚いたほどです。
絵本は半分以上減り、本棚に余裕を持ってしまうことができるようになりました。これまではいくら片付けようとしても、量が多すぎて本棚にしまい切れなかったり、一度読むと段々と平積みになっていってしまうような有様で、押入れケースにもまるまる一箱絵本が入っていました。現在は押入れケースの中も4分の1ほどスペースが空いたほどです。

おもちゃも、細々としたおもちゃが大量にあったのですが、要らない物ということで大量に捨てたり、売り払う方へと振り分けたりしました。

驚いたのは、ついこの前まで仮面ライダーが大好きで、おもちゃも絵本もたくさん持っていたのに、その殆どを処分してしまったことです。確かに最近急に、「仮面ライダー嫌いになった」などと言いつつも、割とおしゃべりしている会話の中に、いつも仮面ライダーが登場するので、本当に嫌いになったの?という疑問が出ていたところです。
仮面ライダーのもので手元に残したのは、どうしても欲しいとおねだりして買った小さな絵本とガチャガチャで出てきた腕時計、幼稚園の子ども祭りで自分で選んで買ったソフビ人形だけでした。

おもちゃや絵本も、たくさん使っているものを気に入っていて残すのかと思ってみていれば、案外全く使っていないものや全然読んでいない絵本なんかも、残すものは残していきました。その中には赤ちゃんの頃に気に入っていたものなんかもありましたし、これ好きだったんだと改めて知って驚くようなものもありました。
わたしは物に関しては余り思い切りの良いほうではないというのもあって、息子のおもちゃや本などは全部捨てずにしまっていたのですが、こうして今息子が自分で振り分けることが出来る時期までとっておけて、本当に良かったと思っています。
わたしの基準で捨てていると、息子が大切に思っているものをどんどん捨ててしまっていたと思うからです。逆に、わたしが思い入れがあるものは、息子は気に入っていなかったりするので、今回不用品に入れられてしまったものもたくさんありますが、この際なので思い切って処分することにしました。

こう、ごちゃごちゃとたくさん物を残しているのには、第二子のことも考えてのことだったのですが、またその時に考えればいいかと思ってどんどん処分してしまうことにしました。

洋服に関しても、お下がりなども含めて大量にあったのですが、化学繊維にわたしがアレルギーがあることが判ったということもあって、先日わたしの方で綿100%以外のものを振り分けて、押入れにしまっておくものと、人にあげてしまうものにしました。
あげてもいいかどうかの、最終確認を怜自身にしてもらいましたが、気に入っていないものばかりだと言います。ただ、その中でも可愛い絵柄がついているものではあげたくないというものもあったし、自分でえらんで買ったパジャマなんかも使いたいといいました。保管しておく押入れ行きにしてしまいました。
あげる先も、ご近所にはたくさん子どももいるけれど、今現在では声をかけるような先もありません。唯一気になる方に声をかけてみたら、やっぱり妹のところから貰うと言っていまいた。
このままあげる人が出てくるまで待つのも考え物なので、この際幼稚園に寄付することにしました。
電話したら持ってきて欲しいということですし、今回ズボンが特にたくさん出たので、不足がちらしいので喜んでもらえるかと思います。

こうして、怜の持ち物はスッキリとしました!!
いや、よく思い切って整理が出来たなと感心したほどです。
すると怜は、「がんばってオタカズケ(まだお片づけと言えないんです^^)したから、ポケモンのメダル買って」と言ってきました。

それを聞いて、わたしは前々から自分がおもちゃを整理しないと新しいおもちゃが当らないんだよと言ってきたことを思い出しました。子どものお片づけのしつけには、片付けると何かいいことがあるという意味と、片付けないと物を増やせないんだということを判らせる為にも、物を処分できたときには新しいおもちゃを買ってあげてもいいということを、お片づけの本で読んだことがあったためです。
わたし自身がお片づけが苦手なのだけれども、日々奮闘しながら、息子にはきちんとお片づけできる人間にしてあげたいというのもあって、片付け関連の本は10冊までも行かなくても結構な冊数を読んでいます。

わたしは即答で「ポケモンのコイン?いいよ、なんていう名前か調べたら買えるだろうし、ママは買ってあげたいと思うよ。ただ、パパは何ていうかな?この前ダメって言っていたし、だけどママから説得してみるね」と言うと、「買ってくれるかなぁ・・・」と心配そうにしながらも、とても喜んでいました。

夫が帰宅して、部屋片づけをがんばったことと、片付け上手にしつけるためにも新しいおもちゃを買ってあげるのは良いことだということで、バトリオコインのようにあまり怜の為ということにもなりそうにないおもちゃでも、簡単にOKしてくれました。

たくさん欲しいということなので、まさかゲームセンターでゲームをさせて得るのもちょっとと思い(実際ゲームをすればもらえるという代物なのかどうなのか、分からないんですけれど)、まだ「バトリオ」という名前も知らなかったためにネットでまずは名前を調べるためにも、ヤフオクを「ポケモン メダル」で検索してみました。そして、すぐにこれは「バトリオ」というものだということが分かりました。

怜は、その数ある中から、「たくさんあるのがいい」とか「パルキア、ギラティナ、・・・がいい!」などと言うので探してみると、条件にあったものが何点かありました。
その中で、しまっておく専用のケースが付いて、更にバトリオ専用の機械?が付いていて、203個のバトリオコインがセットになっているもので、ギラティナとか怜が欲しいといっていた2つの強いキャラが付いているものがありました。
ヤフオクを見ると、100枚以上のセットで出品している方もたくさんいました。
しかし我が家ではポケモンのテレビ放送などは一切見せていないのに、よく知っているものだと感心します。せいぜい、昔古本市で一冊10~30円程度で入手したポケモンの絵本2~3冊と手のひらサイズのポケモン図鑑、それからセブンイレブンのスタンプラリーで無料でもらえるポケモンポスターがある程度、そして先日お誕生日のときにプレゼントしたワークブックくらいなんですけれどね。
ポケモンはカタカナ書きの名前のキャラばかりなのもあって、怜は、勝手にカタカナまで覚え始めています。まだまだ完全にではないですけれどね。本人は漢字のほうが分かるなんて言ってますが、まだ小学生になるまで1年以上あるし、わたしはゆっくりでいいのではないかとしか思っていないです。ただ、せっかくのやる気をわたしのひと言でそいでしまってはいけないので、「ゆっくりでいいから、確実に覚えていけばいいのよ」とだけ言っておいてます。

オークションで発見した時点で3~4日後に終了というものだったのですが、その日から怜のカウントダウンが始まりました。
早く早く~が口癖です。
オークションの仕組みについても、何度も聞いてきます。
そして、終了日当日、夜10時30頃の終了だったのですが、これは独りで眠らせるいい機会だと思って、「ママパソコンに張り付いていないと落札できないんだよ」と、独りで眠る訓練をしました。大抵20時には布団に入るのですが、わたしも一緒に眠ってしまう恐れもあったので、そうしておきました。
途中何度もコワいと呼ばれたので、そのたびに傍に行き、行ってもいいと言われたら、居間に戻るということを繰り返し、やっと寝たという感じでした。

決戦当時、もう一つこっちでもいいと怜が言っていたものは翌日終了の2600円だったので、2600円程度で落とせればと思っていまいた。
それにしても高いなぁと思っていたのですが、この際だからできれば量も多くて機械もついている方を落としてしまいたかったです。
それに、毎度毎度、バトリオコインの新しい出品を見たいといい続ける怜に付き合うのも、落札のためにパソコンに張り付くのも、この日限りにしておきたいという気持ちもありました。
結果、2700円で落札できたのですが、送料が結構高くて、総額3860円かかってしまいました。

翌日、怜の喜んだことと言ったら!!
もう、その日から今度は「あ~、バトリオ楽しみ、早く来ないかなぁ~♪」ばかり言うようになりました。
それから「ママ大好き」とか。元々そういう風に言う子ではあったけれど、毎日何度も言われます。
バトリオコインを買ってくれたからだと言います。
そんなにバトリオって心に響くのかと驚くばかりです。

もし送られてこなかったら?というような心配もします。
「大丈夫、ママちゃんとお金払ったし、それに対して物を渡さなかったら警察が捕まえて牢屋に入れちゃうから」
「入れちゃうだけ??バトリオコインは?」
「現物がちゃんと出品者の手元にあるのであれば、警察に捕まったとしても怜のところに送られてくるから大丈夫」
そこまで言わないと安心しないって・・・よほど心配なのでしょうか!?

それからいつ来るのかと言い続けるので、クリスマスの頃には来るんじゃないかなぁと言ってます。
サンタさんへのお願いは、今回はポケモンのゼクロムのカードセットなのですが、それにポケモンのお菓子が入っていたブリキ缶を付けて、中にクラッカーも一セット同封しているものです。カードよりも断然バトリオが良いらしいので、サンタさんも立場ないですねf^^;

こうして、部屋の中と押入れの中と、随分と荷物がすっきりとしたような気がするのですが、それでもまだまだ物が多いなと思っています。
考えてみれば今大掃除の季節でもあるし、ヤフオクの出品がんばって、持ち物を減らしたいです。

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病院が変わったから?・・・快方へと向かう兆し  12月19日

重症急性膵炎を患い、五稜郭病院から協会病院へと移動して3日ほどが経ちました。

肺の水を抜いた後は、五稜郭病院にて原因不明と言われていた熱はさがり、今日も36度台で落ち着いているようです。

車椅子でトイレまで行くことができるようになったようです。

食事はこれまで流動食や重湯くらいだったのが、ロールキャベツ、野菜のおひたしなどが普通の半分程度出たようですが、それでもお腹いっぱいで入らなかったといいます。

午前中に洗髪してくれたようです。
五稜郭病院では一般病棟に移ってからは一度も洗髪していない(!)と言うので、随分な待遇の違いです。
五稜郭では一般病棟に16日間いたんですよ。

看護婦さんも全体的にゆったりしていて、ピリピリせずにやってくれるので、父は大変満足しているといいます。

看護士長からお話があったのだそうですが、父が五稜郭病院へと入院して、処置をした最初のカテーテルの管が一本、1ヶ月以上位置を変える事無くつけっぱなしだったそうですが、感染源になったりするらしく、駄目だと言われたそうです。
このせいで熱があったのでは?などと母も言っていましたが、肺の水の性だけではないということなのでしょうか、どうなのでしょうか?

洗面台で自分で歯を磨いたそうです。
終了後に看護婦さんが迎いに来て移動してくれるというのでずっと待っていたのに来ないために、自分で車椅子を移動してベッドへ行ったといいます。けれども、点滴や管などがたくさんあるから、ベッドへ移れずにいると看護婦さんが来て「まぁ勝手に動いて」と驚いていたそうです。

この日は院長先生からお話がありました。
はやり五稜郭病院へわざわざ出向いて父の処置をしてくださったのは、教会病院の院長先生だったそうです。
院長先生のご担当された患者さんで、膵炎の一番長くかかった方が9ヶ月だったそうです。
父が、協会病院へと来たときには、重症膵炎の最重症と言われたものの、もっとひどい人も治してきたと言われたそうなので、単純に考えると、最長でも9ヶ月もかからないと考えていていいということです。
院長先生は、勝手に何ヶ月で退院と決めないで、一つずつ悪いところを潰していくというスタイルでいきましょうと言っていたようです。
わたしはこれまで、年内にはかえれるだろうという余りにも安易な考え(?)で大した生活の準備もしようとしていない母のためにも、「春まではかかる」ということで何度も言ってきました。
けれども、父は最重症であるということだけで、ほぼ9ヶ月かかると考え直してしまったりしないように、そうすることで回復するのを遅れるのを差し止めるためでもあるのかもしれません。

いずれにしても、協会病院であれば父もリラックスできるようですし、今まで全く話されなかった回復までの目処も聞くことができて安心して病気の治療に専念できるのではないかと思います。

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4人部屋へ移動  12月18日

今日は、わたしが母に電話したときに、母と弟とでわたしが「なんでネコと呼ばれているの?」とわたしの息子怜が聞いていたねぇとうわさ話をしていたら、わたしから電話がかかってきたといいます。
言われと言えば、上の弟がわたしが高校生くらいのときからある日突然「ネコ」とか「にゃんぺい」と言い始めたのが始まりでした。
どこからどうみても、ネコだといいます。
寒がりで勝手で、まさにネコだといいます。
以来、ずっと実家ではねこと呼ばれています。

さて、重症急性膵炎を患って、膵炎の権威の先生がいらっしゃるという協会病院へと、五稜郭病院から移った父です。
おととい引っ越してきたばかりですが、早速熱も下がったようで、調子も良いようです。
昨日まで二人部屋にいたのですが、ゆっくり休めるかと思いきや、同室のもう一人の方が昼夜逆転生活をしていて、夜になると大変うるさいのだとかで、早速4人部屋へと移動させてもらったのだといいます。

昨日、突然一番下の弟がお見舞いにきたのだそうですが、母や弟には何も言わずに、函館の友人宅を頼りに札幌から出向いたようです。
母は、来るなら一言言えばいいのにと言ったそうですが、言えば来るなと言われるからということで、友人宅へと泊まったようです。
おそらく、わたしたち一家があつかましく上の弟宅に泊まって迷惑しているという話を、下の弟にしているためでしょう。

そんな下の弟は、父の二人部屋の当りの悪さに関して「特別うるさい人の隔離部屋だったのでは?」と言っていたそうです。
下の弟は、久々に父を見た性か、「元気でしょ!」と言っていたそうです。
現在のベッドは自力で起き上がるしかないため、自力で起きて座っていたりもしたそうです。
今までそんなことまでできなかったので、そりゃ、わたしがきいても元気な感じを受けます。

熱は、肺の水を抜いたところが痛むので鎮痛剤を使っているのですが、それに解熱作用もあるためか35度代にまで落ちているそうです。

父は、月曜日に処置がされるのが非常に楽しみのようで、早く月曜にならないかと言っているそうです。
これまででしたら、処置すると言われると、とても嫌がっていたので、いかに協会病院を信頼しているかがよく分かります。

母も、少し病院のことから手が離せるようになって、楽になれそうです。


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引越1日目、良好!!  12月17日

急性重症膵炎を患い、1ヶ月丁度五稜郭病院のICUに入っていて、昨日一般病棟在籍16日目に協会病院へと引越ししました。

そして、今日は予想通り、2人部屋のためにゆっくり眠ることができたのと、処置が早いために原因不明と言われていた熱の原因とも思われる、肺に溜まった水を除いたために、前日に38度台の熱が出たのを最後に37度台に落ち着いているようです。

協会病院の先生は、処置を早くにやっていってくれているようで、週明けにも最大の悪い水溜りを抜く処置をするということです。
昨日は、五稜郭病院での主治医だった岡先生もご多忙の中時間を割いて父の様子を見に来てくださったようです。
やはり、岡先生のお力添えがなければ今の環境も無いので、感謝しています。

そして、昨日は夜から食事を再開したのだそうですけれど、その前におやつ的に栄養補助剤として、流動食ではなく、固形のゼリーがでたのだそうです。流動食タイプでは、下痢の原因のひとつともなりかねないらしく、岡先生もその手があった、という感じだったようです。

父は、五稜郭病院だと工場のような感じを受けたけれど、ここは病院という感じがするといいます。
協会病院の方が気持ち的にもやはり落ち着けるようです。

駐車料金も1時間100円、インターネットをやるにあたっても五稜郭病院よりもはるかに高い感じではありますが、父の容態で入院する分には良い環境そうです。

父は、今度の担当の先生の一人に、「4~5ヶ月かかるのは覚悟している」と言うと、逆に先生は「そんなに!?」と驚いたといいます。
わたしとしては、これはひとつのパフォーマンスだと思います。医師が深刻になりすぎるよりは、軽めにしておくほうが快方が早いというものです。
なので、元々早くて春に退院できるだろうと目安を立てていましたが、やはり3月くらいまでかかると思っています。
それでも五稜郭病院では度々たずねてみても、いつになるか分からないという返事しか受けなかったので、父としても、他の周りのみんなにとっても、初めてのはっきりとした目安ができたということで、喜ばしいです。

父は、昼寝がしっかりと深い感じの様子だったらしく、母も昼寝に入った時点で切り上げて帰ってきたようです。

わたしもほぼ毎日電話して様子を聞くのですが、この日は恐らく父の容態もよくなっているだろうという憶測があったので、何も報告を聞いてませんでしたが何となく安心して、子どもを寝かしつけるときに一緒に寝てしまい、電話しそびれてしまったくらいでした。

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五稜郭病院→協会病院へ引越し  12月16日

昨日、重症急性膵炎を患っている父が、膵臓の権威の先生がいるという紹介で協会病院へと移動することが決まり、母はそれに向けて少し早めにと御陵各病院へと足を運びました。

予定では14時30分ころから搬送という話だったのが、早まり、13時30分ころになったようです。
そのため、少々早めに出向いたにも関わらず、会計などの関係でバタバタする羽目になってしまったようです。
ま、医療現場は忙しいので仕方がないかと思います。

協会病院で以前に五稜郭病院に入院している父のところへ出向いて手術をしてくれた先生は、おそらく院長先生かと思われるのですが、今度の父の担当は、「外科」の先生たち4人になるのだそうです。五稜郭病院では「内科」だったのです。
協会病院では、誰が担当というわけではなく、4人全員が担当であって相談しながら処置を進めていくといいます。院長先生が膵臓の権威ということだけでなく、担当医師の数でも圧倒的に心強いです。

本日は、若いバリバリとした先生が主に担当してくれたようです。
なんでも以前、北大の大学病院のICUでも担当していたらしいです。鬼原先生とおっしゃいます。

本日も五稜郭病院にて原因不明の熱が続いていると言われていた父ですが、早速CTを撮るという話になり、2時間ほど母が待っていると、肺に水が溜まっていることが分かり、手際よく処置してしまい、500ccも水を取ることができたようです。
五稜郭病院では、肺の水は2回抜いて、その後は溜まっているなどと言う話は全くなかったので、いつの間に溜まってしまったのか、不思議です。
「原因となりそうなものは早く除いてしまったほうがいいから」と、鬼原医師はさっさと処置してくださったようです。これで熱が下がればいいのだがというお話でした。
五稜郭病院では担当の岡先生が本当に尽力してくださり、そのお陰もあり今回協会病院へと移動することになったのですが、本当にこの時期に取り計らっていただくことが出来て、良かったです。

肺の水を抜いたら父は痛がっていたそうですが、鎮痛剤を使うほどではないと本人が言っていたようです。

CTを撮ると、肺の右と左では左の方が白っぽくなっていて、こちらに水が溜まっているようです。
大きく分けて3箇所に、現在水が溜まっているようです。
これをドレナージュという、管を刺して水を抜き取る方法で取り除いて行くという説明を受けました。

水の溜まっている場所は、左側に2箇所、尾骶骨の前に一箇所、全部で3箇所です。
どこが問題か、まずは大きなところから順次処置して行き、ドレナージュで除去できない水は、体に少し負担がかかるが、切除するのだそうです。

もっとすごい重症の患者も治ったという、希望的な話を交えてお話してくださったようです。

五稜郭病院のような大きな病院の方が重症の時には透析などできるし良いのだが、その後は小さい病院の方がすぐ対処できるという話でした。
透析を使わなければならないようなことになれば、また五稜郭病院へ移動しなければならないけれど、そこまでひどい状態に戻ることは今後無いでしょうとのことでした。

母によると、協会病院は、新しい感じの病院だそうです。
今回は二人部屋に入ったようです。差額費用は負担になるみたいですが、しばらく熱が続いて休めなかった父には好条件です。
手がまだまだかかる時期なので、看護婦さんの近いところという意味でも、こちらの部屋が良かったようです。
五稜郭病院ではベッドに体温計が設置されていましたが、こちらの病院には無いので、父は「楽しみが無くなった」と言いました。なにせ1時間おきに熱をはかっていた人なので、無理もないです。今度、うちにある使っていない体温計を持っていってあげてもいいです。
また、五稜郭病院では、オムツなど、使用するものは家族が購入して持っていかなければならなかったのですが、こちらの病院では全て用意してくれるそうです。まだ、購入したオムツが残っているので、それを使い切る頃には不要かもしれないですが、毎日何かかにか買い物をしなければならなかった母の負担も軽くなるかと思います。
病院によって、こういったことまで違うんですね。

この日は、丁度入れ違いでお見舞いに来てくれた方がいるのですが、受付で「退院した」と聞いて、驚いて元居た病室まで出向くと、同室のお向かいにいる方が、協会病院に引っ越したことを伝えてくれたために、無難に事なきを得ました。
まさか、周りの人たちに病院替わったと言って歩いても、お見舞いに来いといわんばかりなので、そうもしないでいるのです。
わたしたち兄弟以外には、函館に居る父の弟である修叔父さんにしか、引越しの話はしていないと言います。
祖母には言っていないと言います。どうせお見舞いに来る気もないし、問題は無いです。

病院の先生からは、家族の方も、絶対治るという見通しでいてくれるのが大切だといいました。
母の気持ちのケアもしてくれるようで、良かったです。
わたしも思わず「ほら、本人の前でメソメソしたらやっぱりいけないんだ」と言いました。祖母は先生の前やらどことでも良く泣くので、わたしから父の前では決して泣かないようにと釘指したりもしたことがありました。

まずは父も協会病院の先生を代絶賛していたこともありますし、気持ちの面でも落ち着いて、元気になれればいいと思いました。

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無料☆アトピー治療の知恵  急激に回復しています!!

わたしのブログ、「無料☆アトピー治療の知恵」にて数々のアトピー解決法を紹介してきました。
前回の記事で、わたしがタダのアトピーだけではなく、プラスチックアレルギーもあるということを紹介しました。

現在、具体的にポリエチレン手袋が駄目だと気づいてやめてから3週間も経っていない、それから手袋以外の様々な対策(歯ブラシ、洋服、櫛、水筒、コップなど)を行ってから1週間も経過していませんが、その効果と言ったら驚くほど高いです!!

まず、肌が、特に顔の肌がわかりやすいのですが、日に日に内側から元気になっていっているのがハッキリと分かるんです。
顔の表情事態も変化してきまいた。
目の下がこれまでは腫れぼったかったのですが、それがすっきりとして張りが出ました。
笑うと、口元が醜く崩れる感じだったのですが、それも非常に軽減されたという風に思います。
唇も、まだまだかさついているけれど、つい最近は唇の肌が板状になってパキパキと張り付いているようなほど乾燥して突っ張っていたのですが、今はそれもよくよく見れば乾燥している唇だと分かる程度にまでなりました。これはここ3~4日程度で歯ブラシを変えてから本当に劇的に変化しました。

ポリエチレン手袋にてすっかりやられてしまった両手の甲は、今でもひどい状態です。
これは一時ポリ手袋を止めた時点で余りにも痛すぎてどうにもならなかったために、3日間だけステロイド剤を塗ったのですが、その副作用が徐々に出始めているということもあるかもしれません。
またあちこちザクザクと切れ始めて、痛くなってきました。
ただ、こうして顔の肌なんかで量ることが出来るように、一番ひどかったときよりはプラ系の毒素が体から抜けているものと考えられるので、今度はステロイド剤の毒を抜くためにもこの状態を放置しておこうと思います。
荒れがひどいので、熱を持っていて、反対の手で触れてみてもかなり熱いということがはっきり分かるほどですが、仕方ないです。
治る見込みのあるときには、保湿も含めて下手な手当てをしない方がいいんです。
それでも辛いので、ずっと前に買った馬油を塗ってしまいましたが。
これ、楽になるんですよね。
ただ古さが少々心配です。1年ほど前のものなので。酸化した油はアトピーの天敵ですから。

アレルギーって、体の中に合わないものが溜まりに溜まったものが噴出す形ででるものですから、わたしの体の中は依然プラスチック系の毒で満たされているのだと思います。
これが完全に排出されるにはどの程度時間がかかるのか分かりませんが、顔をバロメーターにしてみると、案外早く排出されていくのかもしれません。
恐らく半年後には細胞もひとしきり生まれ変わることですし、このままプラ系を遠ざけた生活を続けていれば結構健康になれているはずです。
完全に毒が抜けるかどうかは不明ですけれどね。

この間に、妊娠だけは避けたいです。
胎児って、母親の毒を抱えて生まれるといいます。
その分母親は毒が軽くなったりするらしいのですが、そんなの全然嬉しくないです。

元気で健康であってこその人生です。
できればわたしのように病気のことばかり考えて、その対策と調査に時間をとられずに過ごして欲しいものです。
それはわたしの身の回りの子どもたちやその母親たちに対しても同じ考えでいます。
だからこそ、わたしは幼稚園の絵本の読み聞かせサークルや、ご近所さんにアレルギーや喘息にまつわる食事や病院などの話を一生懸命するのですが、なかなか理解されないことの方が多いです。
人間って、面倒くさいことはしたくないものなんですよね。
ましてや自分の食生活を変えないとならないとなると、これまでの食の楽しみまで失いかねません。
そんなにしてまで健康でいたいわけじゃない!大抵の人はこう考えています。
大いに共感できます。
わたしだって、できれば好きなものばかり食べていたいし、大好きなお菓子類も毎日好きなだけ食べていたかったです。
けれど、こうしたことの積み重ねで子どもの健康が損なわれてしまうのであれば、わたしは努力したいと考えます。
たまに外食や、お菓子なんかも楽しめればいいんじゃないかと思っています。
中には外食の一つすら一切出来ないような子もいますけれど。
逆に、たいていはそこまでひどくならないと食事を気をつけようという発想に至らないということが、とても残念です。偉そうな言い方ですが、母親としてどうなの?と思ってしまいます。
幼い頃から食事を気をつけることが出来れば、それが基準となるのです。

完全にとは難しいけれど、わたしはおやつもできるだけ手作りするようにしています。
材料は、昔ながらの穀物類が多いです。「シュタイナーのお菓子づくり」という本を参考にしたりもしていますが、オリジナルで適当にミックスして焼く、という感じの手抜きも多いです。
それにメープルシロップをかければ大抵美味しいですf^^;

健康に過ごせてこそ人生を楽しめます。
その土台を作ってあげられるのは、誰でもなく親ならではのなせる仕事ではないでしょうか。
わたしは息子がお腹に居るときにはそれほど意識していなくて、母としての自覚もそれほど無かったのですが、生まれてからは、そう考えて、まずは最低限正しい生活リズムだけは身に付けさせてあげようと、食事や早寝早起きといった睡眠の時間などには気を払ってきました。
食事に関しても、周りがどんどん市販のお菓子を与える中、与えないようにしてきまいた。
人付き合いの楽しみかた、お友達との付き合いについて、それからわたしがネットでお小遣い稼ぎをしているのを知っていて息子はお金などにも興味を持っているのですが、仁義としての「お金について」の話なんかもします。
わたしは昔母に「お金は無くても幸せに暮らせる、お金儲けは汚い」という、言葉を聞かされて、反撃した覚えがあります。
確かにお金が無くても幸せに暮らせる方法はたくさんあると思います。愛情あればということの話です。けれども、お金が無くて崩れる幸せもあります。現にわたしはお金のことでケンカがおきているのをたくさんではなくても見てきています。
だけど、お金儲けは汚いという一般的な考え方も嫌いです。金持ちは庶民からひがまれていたりするために、そういった考えも生まれたり、実際に詐欺的な人間がお金儲けをしたりするからそう言われてしまうのも分かります。けれども、だからと言って本来お金儲け=汚いには結びつかなかったはずです。
なぜならお金と言うのは、相手がしてくれた労力に対しての感謝によって渡されるものであったりするからです。たくさん世の人に貢献した人が、基本的にはお金持ちになれるという図式もちゃんとあるのです。
だから息子にはわたしは「お金儲けは楽しいし、良いこと。自分がしてあげたことで相手が喜んでくれるから、自分のお金が増えるのだから、どんどん人の役に立つことをすればいいし、わたしは怜に人に好かれてそれから人の役に立つような人になって欲しい。だから、人を騙したり、奪ったりしてお金持ちになるような人にはならないで欲しい。それから、お金があることで見失ってしまうものがあったり、いくらお金があってもどうにもならないこともたくさんある」という話をしたりもします。見失ってしまうものや、どうにもならないことの内容については、聞かれるけれどもあえて答えとしてはわたしは説明したりしません。
わたしも学習中なので、一緒に考えていこうね、と言います。

なんだか、アトピーの話だったはずが、随分と話がそれてしまいました。
すみません。

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五稜郭病院から協会病院へ引越しすることに  12月15日

急性重症膵炎を患い、1ヶ月ICUに入っていて、現在函館五稜郭病院の一般病棟にいる、闘病2ヶ月目の父の記録です。

この日は父の担当医である、岡先生からお話がありました。
先生は、医師の会議に出席された際に、以前一度父の処置をしてくださった、協会病院にいらっしゃる膵炎の権威の先生とお会いして、その時に協会病院の先生が、父のことを心配してたずねてくれたのだそうです。
岡先生は、容態は安定しているものの原因不明の熱が続くなど、経過が難しいという話をしたところ、協会病院の先生から、協会病院の方で受け入れてもよいという打診がされたそうです。
で、父母にどうかと話を持ちかけてくださいました。

岡先生も一生懸命やってくださっているけれど、何せ難しい難病。
父も先日、岡先生に色んな先生と相談してやって欲しいとお願いしていたほどです。
それに、以前難しい処置を協会病院の先生にしていただいた父は、そのお陰でだいぶ回復することが出来たということもあって、大絶賛していました。
岡先生も、五稜郭病院の消化器科の医長でありますが、その先生が協会病院の先生を、膵臓の権威の先生とおっしゃるほどなので、相当なものなのでしょう。
父にとってはまたとない絶好の話で、もちろん回答は、協会病院へ移りたいということで話がまとまりました。

明日16日の14時ころにお引越しです。
母は、協会病院の外来のほうへ行かなければならないということなので、恐らく入院の手続きなどがあるのでしょう。
心配な、入院費用の支払いに関しては、まずは44000円程度を自己負担で払うのですが、その他の費用に関しては、後になってみないと分からないのだそうです。
何せ国指定の難病のために、北海道もしくは国より、補助があり、その補助に関しても道の補助対象になるのか、国の補助対象になるのかは、現段階では分からないのだそうです。
以前、わたしが調べた限りでは、食費や入院費などは自己負担で治療費のみ道や国が払ってくれるという結果を得たのですが、そうとも限らず、場合によっては食費なども補助の対象になったりすることもあるようです。

今日わたしは、息子の風邪が長引いていることもあって市民病院へと行ってきたのですが、その際に薬局に「北海道難病連」という機関のポスターが貼ってあったので、連絡先を控えてきました。
明日にでも、もう少し詳しい情報が分かればと思い、電話してみる予定です。

本日の父の様子は、昨日解熱剤を使ってからは、再び熱が上がることも無く、36度台で過ごしていて、調子もよさそうであったということです。
やはり、カテーテル熱というのが、発熱の大きな原因だったのかもしれません。
それにしても、カテーテルを移動しても長くしつこく続く熱でした。

明日には協会病院へ引越しますし、父も気持ち的に前向きになれる要素がまた一つ増えて、よかったと思います。

この日は、息子の幼稚園で「クリスマスページェント」という、キリスト教の演劇のようなものを息子がやった日でした。
息子の役は「天の軍勢」というものです。
キリスト教徒ではない我が家ですが、お土産としてもらう小さなクリスマスケーキをみんなで分けあって食べるということ、自分さえよければいいという考えではなく、みんな神様が愛している子だということで大切なんだというお話がありまして、去年もなかなかいいと思いましたが、今年も一段と成長した息子を見ることができてとてもよかったです。
12月に入ってから練習を始めたのですが、息子は風邪のために殆ど休んでいました。
総練習のときも休んでいて、写真撮影があるというのでそのときだけ顔をだしましたが、かれこれ2週間ほど休んでいます。呼吸が苦しいらしく、幼稚園に居るとしゃべったり走ったりしたくなるというので自宅に居ました。いたって元気ではあるのですけれどね。
台詞の原稿は、幼稚園から配られて持っていたのですが、息子は覚えているというので特に復習もしませんでしたが、本番ではきちんと歌も台詞も上手に出来ていて、少し驚きました。
というのも、わたしは幼稚園のころは、やはりキリスト教系の幼稚園に通っていたのですが、毎日お弁当の前に行うお祈りの言葉ですら卒園のときまでにも覚えられなかったほどだったもので。
息子がわたしに似なくてよかったと、ほっとしたりもしました^^。
ページェントは幼稚園の行事としては唯一夜遅く18時から開催され17時すぎに終わります。

その後、去年もそうだったのですが今年も外食しました。
去年はびっくりドンキーへ、今年は幼稚園の近所にこの秋に出来たばかりの居酒屋へと出かけました。
わたしとしては幼稚園児を連れて居酒屋へ行くのはいささか抵抗があるのですが、料理の種類は主にイタリアンでパスタやピザなどがあって、味も美味しかったし、何より怜も喜んでいたのでよかったです。
そこで、お店の方に断って小さなケーキを3人で分けて食べました。
幼稚園で使っているケーキ屋さんは、アレルギーにも配慮してるケーキ屋さんのもので、とっても美味しいんですよね♪小さくても満足できるデザートとなりました。

そんな中での父の病院移転の連絡を母から受けました。
よいお知らせで本当に良かったです!



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横ばい→落ち着いた?  12月13~14日

なかなかすんなりと回復しない父の重症急性膵炎。


13日
この日は担当の岡先生が17時過ぎに来てくれたようです。
16時30分ころの予定だったのですが、ご多忙の様子です。

解熱剤を使って36度台に熱が下がることもあるけれど、また上昇してしまうようです。
母が面会した段階では38度7あり、朝も39度だったようです。
真っ赤で汗だくになってしまうので、シーツの上に敷いておいてるバスタオルを交換しているそうです。
白血球は、低すぎたものが普通の枠内に入ったようです。
肝機能も上昇した模様です。
炎症は、先生は横ばいだといいますが、看護婦さんの教えてくれた値では、13だそうです。
13って、これまで聞いた中で一番高いです。
元気なときで0、風邪引いた程度と父が一番よかったときで3、重症膵炎発症時の一番ひどかったときで11でした。
一体どうなっているのでしょう。
ただ、熱さえ下がれば状態は悪くないと言います。

現段階ではカテーテル熱なのかと、カテーテルを腕に差し替えたりしましたが、あまり効果がないようです。
解熱剤なども連用するといけないかと、種類を変えてみたりもしているようです。副作用回避のためです。

昨日の、祖母の話はしたのかと母に聞くと、話していないそうです。
やっぱり、聞けば不愉快にしかならないような話なので、母も病人相手に遠慮したようです。

この日は函館にいる祖母の一番下の妹さんが、札幌にいるおじさんの一人と一緒にお見舞いに来たそうです。


14日
この日、母が面会している時間の間には、珍しく下痢をしなかったようです。
熱は36度~38度、解熱剤も利用しなかったようです。
昨日よりはましだけれど、相変わらず熱もあるし、少々ぐったりしているようです。

セコムの人が面会にきて起きたりしていたせいもあるようです。
話としては、復帰後はこれまでの二人体制ではなく三人体制でどうかという内容だったようで、相方で一緒にやっている電気屋さんもその方が負担無くてよいといいますし、父としても稼ぎはすくなくなっても、それでいいようです。

わたしが具合が悪いので、いつもより短めに電話を終わらせたのでこの程度しか話を聞きませんでした。
息子もわたしも、風邪が長引いているんですよね・・・。

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熱下がる?  12月12日

カテーテル熱と思われている父の40度を越す熱ですが、どうやらカテーテルの洗浄のしすぎであった可能性が出てきました。
父も、わたしが先日病室にいたときに、そういえば岡先生に、カテーテルの洗浄をした後がすごく具合が悪いと訴えていました。
先生は、消毒はしないといけないと思っていたけれど、洗いすぎだったのかもしれないと言います。

この日39度5の熱が10時45分ころにあったので解熱剤を使用したところ、38度台になり、13時45分には37度台、14時45分ころには36度3まで下がったようです。
このまま熱が落ち着いてくれればいいのですが。

熱も引いた性か、今日は調子がいいといいます。
便座に座ることも出来たようです。

この日もひげそりが壊れたからと母は買出しに行ったりしていたようです。
スバルに自分の車のオイル交換にも行ったようです。

その間、母の携帯電話に祖母から電話がかかってきて、生活保護を受けて良いかと言う相談があったそうです。
生活保護については祖母はずっと昔から言っています。
そのたびにうちの両親は、したいのであればそうしてくださいと言っているのですが、「私が生活保護受けたらあんたたち恥ずかしいでしょう」と言うのだそうです。
今回は、「申請してもいいか許可をもらおうと思って」と祖母は電話してきたのだそうです。
わたしの母も「今生活費払いたくても払ってあげられないし、もし申請したいのであれば、許可も何も駄目と言える筋合いのものでもないです」ということを言ったのだそうです。
すると祖母は「(わたしの父)と縁が切れたとでも言うのかい」と言い出したのだそうです。
母は、スバルに居るし、わけもわからないし、声も響くので、適当にあしらって電話を切ったのだそうです。
いや、そもそも生活保護なんていよいよ頼る身寄りがない人でどうしようもない人が受けることになるのですけれどね。しかも祖母の場合、わたしの父以外にも他に二人も子どもいますからね。そのうち一人の家に居るように、わたしも諭して一旦行ってもらったのに、一週間ともたずにさっさと自宅へと帰ったものですから。それが一番生活費かからない方法だったのにも関わらずです。

母は、先ほどの話にちょっと面食らったようで、つい所帯を別にしたのかどうか、確認し忘れていたので、弟宅へと帰ってから祖母へ電話しなおしたのだそうです。
すると、テレビの音が大音量で電話の声が聞こえないようで、何度も誰なのかと確認したのだそうです。
母は、「所帯を別にしたんですか」と聞いたら、
祖母は一体誰と勘違いしたのか「したさ、(わたしの父)の奥さまもホクホクだろさ」と言ったのだそうです。
母はあっけに取られて「何?」と言えばもう一度、同じことを繰り返して言い
「スマちゃんじゃないの?」と言ったそうです。
母は、所帯を別にしたことによって特に何か得をしたわけでも何でもないので頭に来て電話を切ったそうです。
そりゃ、そうでしょう。
そんなこと言われたらびっくりだわ。
それにしても、なんでこんなに根性曲がっているのか、我が祖母ながら不思議です。
母は、もう電話かかってきても電話に出ないし、切ってやるといっていました。
母は、今更という感じではあったけれど、余計にがっかり、まさかのすごい人だと思ったといいます。
こうやって周囲に悪口言って歩いているんだと思ったといいます。
そう、確かに母は何も得はしていないです。祖母が好きなようにさせただけですけれどね。
叔父さんの家からもさっさと出て行って、挙句にこれはないんじゃないかと思います。
一人で生活したらお金かかるのも当たり前だし、父母は入院費用で精一杯だし、祖母も困らないようにと叔父さんの家に言ってもらうようにしたのですけれどもね。
どうなっているんでしょう。

明日は採血があるのと、弟が休みなので一緒に行くそうです。
そして、このことを父に言うといっていました。

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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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