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一般病棟へ移動の見通し 重症急性膵炎発症から1ヶ月  11月29日

この日の函館は雨と曇り。
いつもは夕方に病室へ行く母も、この日は13時30分頃について、1時間ほどいたそうです。

看護婦さんの話では、主治医である岡先生の出す診療指針のようなものには、昨日28日から一般病棟へ移動しても良いと書いてあったそうです。ただ、一般病棟に空きが無いためなのか、他の準備が整わないためなのかは不明ですが、今日もICUの4人部屋にいたそうです。

良かった!!これから怜もお見舞いに行ける。一般病棟に移ったら、幼稚園休ませて連れて行くわ、と言ったものの、すぐに色んなお客がたくさん押し寄せてきたら、父も疲れてしまうかと心配になりました。
そして、母にも、お見舞い客がたくさん来ないように、あまり一般病棟に移ったとか言わずにいて、病状きかれたらだいぶよくなったけれどまだまだ退院までかかるといったように、ICUから出たということに触れないように話しておけばいいんじゃない?と言っておきました。
この時期は、感染症が一番の死因になるんです。
重症急性膵炎になって1ヶ月をすぎて2ヶ月目に入ると、死亡率は8%までに落ちるのですが・・・・それでもまだ「8%」もあるんです。
何度もあった山を乗り越えるたびに死亡の危険性が下がってはきたものの、まだまだ高い。
ICUを出られるということは、緊急のレベルが下がっただけであって、死亡率が下がったというわけではないのです。
できれば一般病棟では他のお見舞い客などが来ない個室であればいいなと願っていますが、なかなか難しいでしょう。

父の方はICUから出られるという話を聞いて、しょっちゅう人の手を借りないといけない状態だし、管も4本ほどついたままなのに一般病棟へ移っても大丈夫なのかと不安に思ったそうです。
けれども、看護婦さんの間でも引継するし、現在頻便で交換するのにも看護婦さんが来るまで時間がかかるかもしれないし、手薄だけれどやってくれると言います。車椅子も今は独りでは出来ないけれど、一人で出来るようになると、励まされるような形で説明されたようです。
実際ICUは救急病棟なので、夜中でもたくさん人の出入りがあってうるさかったり、電気も煌々としていたり、休めるのは一般病棟の方であるのです。
ただ、感染症が心配です。ICUであれば、空調もしっかりしていて、菌も少ないように部屋自体が管理されているようなのでその点は安心できていたのです。

そんな空調バッチリのはずのICUですが、今日は部屋の空調が調子悪いようで、窓から寒い風が入ってきて寒くて風邪を引きそうだといっているそうです。熱も38度1あるので、これだけあれば十分風邪をひいているのと同じか、膵炎もあるのでそれ以上のだるさだと思います。

昨日、祖母と話をした母が、その報告をしたそうです。
雪かきサービス頼んだから、雪に埋もれる心配はなさそうだというと、「しょうないなぁ」と言っていたそうです。祖母はさんざん我が侭に暮らしているので、これ以上何を言ったところでどこにも行かないのを知っているからです。
けれども、父は死んでしまうのではないかと心配なようで、葬式のことまで考えたといいます。
こういう状況なので、自分は葬式にでられないから、弟にがんばってもらわないとないとか、町内会でこじんまりとやって、かかるものはかけるけれどなどなど。母は、考えすぎだと言ったそうです。
だけど、わたしも昨日、祖母について母に色々と言いました。
それは、修叔父さんが一ヶ月に一回程度様子を見に行くと言ったことがキッカケでした。
「1ヶ月に1回って、随分叔父さん悠長なもんだわ。ばあちゃんに、もし何かあっても発見は1ヵ月後になるってことじゃない?車で1~2時間程度な場所なら、もう少しこういう状況だったら見に行ってもいいんじゃないかと思うけれど、それほど心配じゃないって思っているということなんだろうね。」
母は、仮にそうなったとしても、さんざん叔父さん宅へ行くように言っていたんだし、知らないといいます。
わたしも第一発見者などにはなりたくないけれど、函館行く前に、ちょっと覘いていった方がいいのかもしれないと思ってしまいました。おとなしく函館の叔父さん宅にいればいいのにと思っているし、面倒くさいから、わざわざ覘いたりしたくはないんですけれどね。店の前に歩道との境の雪山が出来て車を入れて停められなくなったときには放置しておきます。

わたしは、そういえば昨日でしょうか、ネットを調べた結果を母に報告していました。
重症急性膵炎を起こした人の、退院後の死亡率は12年後に15%、つまり6~7人に一人は亡くなっているということ。その死因の半数近くは癌。また、1年以内に膵炎を再発する人の割合も半分程度。
このことと、わたしがネットやこれまでの自然食に興味のある方々からのお話などで色々調べたり結果で分かることは、膵炎は甘いもの、肉油類は駄目ということと癌が多いこととの関係です。
膵炎というのは父の様子を見て分かったのですが、すい臓から消化酵素が異常な値で放出されてしまって、消化酵素を消耗しているという症状です。消化酵素って、一説によると使った分だけ減っていき、使い切ること=寿命をも意味するという話があります。しかも人が一生のうちに生産できる酵素の量は決まっているのだとか。だから、消化酵素を口から取り入れる、つまり食品自体に酵素を多く含んでいるもの(生物や自然の発酵食品で、ちなみに酵素は48度で死んでしまうらしい)を摂取することが日々の健康の秘訣だといいます。
消化って、人が考えているほど軽い作業ではなくて、そのため体に合わないものを食べたり、大量に食べ過ぎたりすると、疲れて眠くなるのだそうです。食後に眠くなるというのは、胃に血液が集まって頭に血がまわらないからと言うのもあるかもしれませんが、消化に良いものであったり、消化器官に負担のかからない食生活をしていれば、昼食後にそれほど眠くもならないものです。
癌はまた、肉食を完全に止めた上で体温よりも温めると末期の癌でも治った、酵素が効くという話がよくあります。これは民間療法に限った話ではなく、ちゃんと医学博士の間でもそういった研究の成果が発表されていて、体に負担の多い抗がん剤を使った治療の代替治療のひとつとしても有力視されているようです。

今回、父の症状は重症急性膵炎ということで、癌ではありません。けれども、データが示すとおり、病後の経過で非常に癌になりやすいということがあげられています。これは、すい臓が酵素を放出しすぎたために、消化酵素の欠乏から肉油類を普通の人よりも消化しきれず、それが毒となって体に残りやすく、癌の原因となるためです。
なので、弟がネットを調べた結果「原因が飲酒とかでないから、膵炎が治ったら飲めるし、肉も普通に食べれる。」と言ったそうですが、わたしはずっと疑問視しています。酵素を大量に放出してしまっているので、やはり肉油類の常食はよくないはずです。
母はしきりに栄養士が指導してくれるから大丈夫と言います。
わたしは、現代の栄養学なんて大したあっていないと言います。
母にこういった話をすれば、「一体何を根拠にそんなこと言っているんだ」と怒鳴られました。
で、タバコ飲みなんかは死ぬのが早くてもタバコはやめられない、食べたいものを食べられないなんて、生きている楽しみがないというようなことを言います。
人間、自分に都合の悪い話って、基本的に聞きたくないし、聞き入れたくないものなんですよね。
わたしは何も一切やめろとは言っていません。
ただ、母はいつも「肉もお菓子も食べていない」みたいなことを言う割には、色んなものに細切れになった肉がしょっちゅう混ざっているし、わたしからしてみると、前々から言っていたように、まだまだ多いということを言っているのです。
普段が多すぎだから、もっとやめるようにと言っているのです。
で、旅行なんかに行くときには、少しはたまに楽しむくらいでいいけれど、普段からそんな生活をしていたら駄目だといっているのです。
何を根拠にと言われると、インターネットやお友達の詳しい人の話を元に、いろんな話を集めて正反対の意見なんかも検証してみて、実際に自分の体で感じてみて、それから周囲の人の体験談なんかも参考にしています。
必ずしもわたしが正しいとは限りませんが、母が言うには病院で治療しても治りきらない場合があったりするのだけど、そういうときには血糖が高ければカロリー制限をするだけであって、今の状態できちんと完全に治りさえすれば、何も制限などないというのです。
しかし、これまでのような食生活にそのまま戻ればどうしても危険だと考えてしまいます。

だって、そもそも何か膵臓らへんが調子悪くて検査したら、それが引き金になって膵炎になったんです。
これまで父が調子悪いと言うたびに、お菓子、肉魚油類が良くないらしいんだよ、牛乳はやめたほうがいい、という話をしてきたのですが、また変なこだわりを持って、くらいにしか思われていなかったと思います。
検査をしなければ、今回のような重症急性膵炎にはならなかったかもしれません。
けれども、今回の父の重症急性膵炎になった原因としては二通り考えられるものがあって、一つは元々傷があって膵液がすこしずつ漏れていたから不調だったところにグリグリしたものだから傷が広がって一気に重症となった、二つ目は、これまでの食生活他色んな要因が溜まりに溜まって膵炎になる要素満載だったところに内視鏡が入ったことが引き金となって重症急性膵炎になってしまったというところです。
もちろん、担当医師にこのことを問い詰めたって、はっきりわからないと言われるまでなのですが。
しかし、特に二つ目の原因だった可能性が捨てきれないのであれば、大いに食生活は気をつけたほうがいいのです。
どうして膵炎の人は甘いもの、肉、魚、油が駄目なのか、よく考えれば繋がるものが見えてくるのです。
それは、酵素や自然食の考えで繋がって、明快に見えるのです。

肉油魚甘いものを食べないようにする食生活というのは、自然食そのものです。
わたしが、日々アトピー改善のために努めて取り組んできたものです。
実は、最近、わたしの手のアトピーは、どうやらゴム手袋の下履き用に使っていたポリエチレン手袋がいけないということに気づいたばかりです。食に気をつけているのに、症状がどんどん、今までアトピーが出たことも無いような手の甲に日に日に広がっていっていたのです。それがつい1週間前まで。
一週間前に、母に「それも合成のものじゃない」と言われた一言で、まさかと思ったのですが、やめてみて、昔から使っていた綿手袋を内履きにするようにしました。わたしは綿手袋はせっけん成分が少し残っているという理由であまり好きではなかったのですが、この方がずっとマシのようです。今まで進行していった、アトピーが、一旦停止状態になりました!最近では、足にもこれまでにない種類のかゆみと吹き出物ができたりしてきていたのですが、そちらはすぐに収まりました。
コワいですね、ポリエチレン。これって、ラップの原料でもあります。

それから市販の酵素で「オリーゼ酵素」という、自然食に詳しいお友達が以前すすめてくれたものを父のために手配しました。
アトピーに良いということで、昔聞いたのですが、わたしも知っている現在無農薬無肥料の野菜を千歳で栽培されている方の旦那さんは、こちらの酵素で末期の癌が治ったのだそうです。もちろん、他にも色々されていたのだと思いますが、そのことがキッカケでもあって無農薬無肥料の野菜の栽培をされ始めていたようです。

わたしは、以前わたしのブログにも書いたのですが、この夏、こんにゃくを食べることで喘息が治ったという経験もしています。
調べてみると、こんにゃくは喘息に効くという話がネットにもあって、なにやらこんにゃくにはこんにゃくにしかない特殊な酵素を持っていて、それが喘息に効くという話も載っていました。
摩訶不思議な酵素の話ですが、食べ物から体って出来ているんです。
食べ物次第で健康にも不健康にもなれる可能性は、知らないだけであってたくさんあるんです。
現代の栄養学に基づいて一日30品目食べていると間違いなく病気になると自然食派は言いますし、実際一日30品目食べている人なんて、栄養士であってもいないというのも然りです。
わたしがネットでこんにゃくで喘息が治るって本当ですかという質問があったので、治りましたという投稿をしたときにも、あやしい民間療法に騙されてはいけないという投稿がありましたが、やはり自分の知らないことや都合の悪いことは怪しいと感じるものなんです。

わたしも、食事について両親に偏って凝っていると思われているようです。確かにそうかもしれませんし、わたしは人より極端な部分があるかと思っています。
けれども、自分の体を細かく観察していて、年とったと思う要素もあるにせよ、10年前よりも顔の肌の奥なんかは特に元気になったのが良く分かります。
甘いものを食べると、肌が干上がったように乾燥するのも分かりますし、添加物が入っているものや体に悪いものを食べると、途端に手のアトピーがみるみるうちに悪化するのも感じます。それも大抵食後30分以内に始まります。その結果をアトピー仲間に報告したりするので、すぐ分かるのはすごいと面白がられていたりもします。
食生活って、大事だとひとことで言っても陳腐すぎて聞き逃してしまうけれど、それすなわち病気と健康にも繋がるんです。
まさに九死に一生を得たのだから、その後の人生より良く長く楽しむためにも、気をつけて欲しいものです。

この日もまた、父の話にはわたしが登場したそうです。
わたしが看護婦として勤めているのではないかという疑念が相変わらず少しは残っているようで、けれども似ている看護婦さんがいたから「ゆっきでしょ?」と声をかけたというのです。
以前わたしは父に「わたしが看護婦の資格などもっていないんだから、勤めるわけが無いでしょう?」とお見舞いのときに言っておいたのだけれど、どうやら父は無免許で看護婦をしていると思ったようで、その看護婦さんに「看護婦の資格も持っていないのにこんなことしていたら、バレちゃうから辞めなさい!」と注意したのだそうです。本人確認のためにしたはずの、卒業高校も函館中部高校だというので、また偽っていると思ったらしいです。ICU症候群の人の思考回路って、ちょっとユニークになってしまっているので仕方ないのですが、おそらく言われた看護婦さんもちょっと驚いたかもしれませんが、ICU症候群についての知識くらいあるはずなので、誰かと勘違いしているんだな、くらいに流していたと思います。
それにしても、傍から聞いて、その様子を創造してみるとなかなか笑えます。
これは、このまま父が本当に退院するまで元気になれば、本当の笑い話になってくれるはずです。
いや、本当に元気になってくれることを祈るばかりです。
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本日の病状と色々なこと  11月28日

この日の父は、車椅子に座ったり、ひげを剃ったり、歯を磨いたり・・・全部まだリハビリ段階だそうですが、少しずつできるようになってきたようです。
まだまだ立てないから、看護婦さんに足洗ってもらったり、足踏みして足の筋力を鍛えていたりもしたそうです。
それから、20分くらい座って、筋力を付けるトレーニングをしていたそうです。
車椅子から布団に移動して寝るときには、まだまだ体から悪い液を排出するための管と袋がついたままだけれどほとんど自分で移動して寝ることができたのですごかったと看護婦さんにほめられたようです。

水枕をしていたので暑いのかと聞くと、熱が37度台あるそうです。たくさんの管が刺さったままなので、とりわけ血液の値が悪くなくてもいたし方のないことかもしれません。

父の病状が少しばかりよくなってきたら、今度は家の色々な問題を話していかなくてはなりません。
懸念時効はなんといっても父の母である、わたしの祖母です。
相変わらず、実家の裏に一人で住んでいます。
冬の間、雪かきする人がいないのでどうするのかと、修叔父さんに相談したら、町の福祉施設であるシルバー包括支援センターへ相談すると、金銭的負担はあるものの、雪かきボランティアのサービスがあるということで、そちらを利用することにしたそうです。

わたしが昨日、母から父へ、祖母へのお金について、父のほかの兄弟二人に相談するように言っておかないとという話をしましたが、父はそれを聞くと、財産をもらっている以上うちが何も払わずに他の二人に全部負担をお願いするというわけにはいかないと言います。出来たとして3等分だそうです。出来たとしてということなので、出来ないということも考えられるというのでしょうか?わたしの感覚からしたら、自分の親なのだから、それくらいは最低なんとかしようとするものではないかと思いますが、よく分かりません。それとも、孫であるしかも父の子であるわたしたち兄弟が更に父母の祖母へ払えない分の負担もしなければならないのでしょうか??やっぱりそう考えると、他の祖母の子を差し置いて、さすがにそれは筋違いであるのではないかと思います。
一番気の毒なのは、母です。
今回もまた祖母の「誰誰に何をあげたら、どう良くしてもらえた。」とか「自分が一番一生懸命やっていたから、最後に誰誰からこんないいものを貰えた」とか、何をいいたいのか意味不明な話を聞かされ不意に母は祖母からなんて意地悪されても何も貰ったことなんてない、もっともそんなもの欲しいとなんて全然思わないけれど、なんて思ったらしいですが、直接本人に言うのもなんなので「忙しいから電話切るわ」で済ませたそうですが、いつも他人には色々あげているようだけれど、父母にはちっともで、何か父母がやってあげてもやってもらうのが当たり前という顔しているし、ちょっと父母だけで旅行へいくとそれが面白くないとあれこれ言ってくるし。
そりゃ、わたしの弟たちも帰ったときですら祖母に挨拶に行かなくなりますよ。わたしは、息子である祖母にとっての初曾孫がいるので、会わせてあげようと思うから行くけれども、そうでなければ行きません。

母は、たまに実家へと帰るものの、そのときなどは仕事に忙しく、終えたら病院へ直行という生活を送っていたので、いつも祖母に声もかけずにいたのですが(わたしが居るときは、大体わたしが対応していました。けれどもいよいよ忙しいときもあって、話をすぐに切り上げたこともあります。いや、本当にばたばたしていて忙しいのです。)、そのため函館から今回初めて母から祖母へと電話をしてみたのだそうです。
そして、修叔父さんから話聞いているだろうけれど、だいぶ良くなったと伝えたそうです。お金のことについても、なんとかしたい気持ちはあるけれど、こういう状況では渡すお金もないということを伝えると「貯金が40万ほどあるのでそれが無くなったらお終い。なんで長生きなんてするんだろうねぇ」なんて、いつものボヤキが始まったそうです。わたしが思うには自分の自由にしている祖母は、長生きしても人生楽しんでいて、決して不幸のど真ん中という生活でもないのですが、自分の息子が一大事だとそう感じるのかもしれません。
なので母は「早くしねばいいとか思わず、生きている間は全うしないと。生きたくても生きられない人もいるし、生きられる年数は決まっているから。」という話をしたのだそうです。
わたしが以前祖母宅で話をしたときにも「代わってやりたい、自分なんかが長生きしていても」なんてことを言いながら嘆いていたので、「自分が生きているから張り合いになっていいでしょ、くらいに思っているほうがいいんじゃない?」と言った覚えがあります。
要は、そう言いたい気持ちは分かるけれど、もう少し楽観的な言い方ができればいいのになぁ、自分の人生そのものまで悲観しなくたっていいじゃないかと思ってしまうのだけれど。まぁ、いつもこんな調子だから単なる口癖で、わたしが心配するほど悲観していないのかもしれないけれど。
母が聞いた、ここに祖母が一人で居座る理由は、薬が最高60日までしか出ないし、歯医者にも行かないと歯もガタガタだし、ここにいれば銭湯に行くと知らない人が背中流してくれたりするのに函館には知っている人もいないと言います。わたしが聞いた理由は、叔父さん宅では奥さんが看護婦さんのために夜勤などがあり夜落ち着けないし出かけることもやることもなくて病人になってしまうと言っていました。
何はともあれ、我慢できないことの言い訳だらけ、とにかく、独りでも構わないから自分の家に居たいみたいです。
祖母は、頼むから心配かけないでやって欲しいと母に言ったそうですが、独りで居ること自体が心配のタネだから無理なお願いです。こんなときくらい心配かけないようにして欲しいものです。

セコムの診断書を提出して、現在父はセコムのアルバイトを休職しているのですが、診断書にははっきりした退院予定は書かれていませんでした。めどがついていないので、書けなかったためです。
そこで、セコム担当者から1月くらいには退院できますよね?というお話があったので、母は「春には退院できるのではないかという一応の目安程度なんです」と説明すると、「えぇっ!?」という反応だったので、「ご迷惑ですよね。本人はやる気ではあるのですが、退院したからと言ってすぐすぐ体力が伴うかと言えばそうとは言い切れないし、誰か新しい方雇ってもらった方がいいかもしれないです」と言ったそうです。本社から臨時で社員の人たちがかわるがわる対応しているようなので、長くそうしてもらう訳にもいかないみたいです。現在そうであるかどうかは不明ですが、そういった社員の方は車中泊で日々の勤務に当っていたりもするのだそうですが、さすがに冬ですしそれではやりきれないはずなので、けれども人員のやりくりに苦労しているのは間違いなさそうです。
母からは父に「しょうがないよね?お金のほうは何とかつましくしていれば何とかなるだろうし、残りの人生ゆっくりやっていけばいいんじゃない?」と言うと、「そうだね」と言っていたそうです。

今日も父の話には、わたしが登場していました。
何やら神妙な夢を見たのだそうです。
父の夢の中で、わたしは父の主治医である岡先生に交渉?というかケンカ?をしていて
「この店100年続いていたのにどうしてくれるんだ!!」とわたしが凄んだといいます。
すると岡先生が「4200万でどうだ」みたいな示談金を提示すると、
わたしは「4200万じゃどうにもならない!!」と言うといいます。
岡先生が「じゃあどうすればいいんだ!?」と言っていたという夢を見たらしいです。
父が眠りから目覚めると目の前に岡先生が居たものだから、思わず父は先生に「よろしくお願いします」と握手を求めたと言います。

母はそれを聞いて、父にわたしのことを「父が元気なうちはいいけれどもしも何かあったときにはタダじゃおかない。カルテ洗いざらい見せてもらうって言っていた人だからねぇ。」と話たそうです。
父は慌てて「いま治療中だからそんなことされたらたまったもんじゃない」とおびえていたそうですが、「そんなのもちろん何かあったときはの話だから」と母も念押して言ってくれたそうです。
けれども、父がこんな夢を見てしまうほど、わたしのキャラは、そういった感じで固定されているようです。

実際、父が夢で見たような、これが万が一何かあったときの話で先生が4200万円の示談金を出してきたとしたら、やはり「4200万じゃどうにもならない!!」と言って、示談になど応じないと思います。
金で解決しようと思って、ちょっとお金持っているからってなんでもお金で済ませられると思っているのか!!小汚いヤツめ。そうじゃない、お宅が痛くもかゆくもないお金貰って喜ぶほど簡単なもんじゃない。せめて持っているであろうなけなしの名誉をもって償ってもらう、ということで、軽く示談などに応じない、これがこのときわたしが考えることです。
きっと、これまでのわたしの質問責めにあって、岡先生も何かのときにはわたしがどんな勢いでくるかくらいの危険性を、予想していると思います。

現状、ここまで回復しているので、そういった危険性は少なくなってはいるはずです。

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ICUの最後の部屋?へ移動  11月27日

父は重症急性膵炎を患って、1ヶ月が経とうとしています。
今日は、部屋の移動が久々にありました。
移動した先は、母とわたしが病室へお見舞いへ行っていた頃、ここは一番調子のよさそうな人たちがいく部屋だろうねと言っていていた、一番奥の4人部屋です。そこは、他の部屋より隔離されていて、なのに部屋の中の人たちは比較的元気におしゃべりしているのを覗き見たから、そう思っていました。
ついに、父はその部屋へ今朝移動しました。

今度も窓際で左側のようです。
移動には、車椅子を使ったと聞きました。車椅子なんかに乗れるほどになったのかと、またここでも回復を伺う情報があって喜んだりしていました。立ち上がれたりはしないようですが、これもリハビリの一環なのでしょう。スリッパも用意するようにと、母は言われたそうです。
本当に寝たきり状態で、ベッドを起こすのにも他人にやってもらわないと起こせないタイプだったのが、こちらの部屋では自分でリモコンを使って起こせます。
環境的にも、ガラス張りの部屋ではなくなったので、夜は少しは暗くなって眠りやすいのではないかと思います。
前の部屋には13日間居たと言います。きっと次は一般病棟でしょうけれど、何日この部屋にいることになるのでしょう?
部屋の造りは前の部屋と一緒で、時計も同じ位置にあるのですが、隣が女性のためにカーテンをずっと閉め切っていて時計が見えないので、母は電波時計を買いに行くことにしました。

この日の父は、熱も余り無くて元気でした。
昨日は一気に増やして飲みすぎた流動食の性で、熱が出てしまったけれども、今日は量も先生のほうで減らしたことに加えて、父自身も慎重に飲んでいるそうです。

やはりまだ少し夢うつつなところが残っていて、わたしが本当に看護婦さんをやっていなかったのかが気になるようです。母は、千歳で小さい子どもいるのに、どうやって看護婦さんしてここにいるの?などと言っておいたそうです。

さて、ここにきても相変わらずの難題は、祖母の金銭面の援助に関してです。
これまで父母より毎月5万円を渡して、それに祖母の年金の25000円を加えて祖母は生活してきました。
母は、わたしには一生懸命「してあげたいけれども、手いっぱいだし、お金がとてもじゃないけれどかかって持たない」と言い続けます。なのに、知らない、こういう状況だから給料でないってことも分かっているでしょ、ほうっておこう、みたいなことも言います。
わたしは、それじゃあ後で悪く言われるのはこっちだから、きちんと修叔父さんなり容子叔母さんなりに話しないと駄目だと言いました。
すると母はふてっくされたように、「私は蚊帳の外他人なので私が言うとなんであんたが口出しするの!?という感じになる」とブツブツ言います。
わたしは「そうであるなら、父に言わせないと駄目だ。ほうっておいてこういう状況だから空気読んでなんとかせい、みたいなのが一番駄目だ。修叔父さん、また一週間くらいしたらきっと父に面会しに来るでしょ?そのときに父から言わせなきゃ。今こういう状況で金銭的に祖母の負担をできないから、修叔父さんと容子叔母さんとで話し合って、その結果どうするかを教えてと。」
母は、しきりに1万円くらいは負担しても仕方ないなどと言っているので、わたしは「そうじゃなくて、叔父叔母さんに相談させて、その結果を聞けばいい。1万円負担してくれって、言われたならそれから考えればいい話であって、こっちから提案する話じゃない。そもそも今まではうちだけで5万円全額払っているのだから」と。
母は、すると弟が大学に行く前は8万だった、それが55000円になり、今払えなくて5万になったといいました。それから、自分の親にお金ないから払わないって言えるかい?と言います。
「そうじゃない。払わないじゃない。これだけできると提案しろとも言っていない。」母はこれを聞いて意味が分かっていないようでした。
「こう言えばいい。弟が大学行く前は8万、その後5万5千円、それから払えなくてなんとか5万円を毎月渡していた。何とかやっていた状況だったけれど、今こういう状況になってしまって10月分だけは何とか渡せたけれど、それ以降がどうにもならないでいる。叔父さん叔母さんの二人で話し合って何とかしてくれないか。その話し合った結果、どうするのかも教えて欲しい」と。
その結果、仮に父に1万円払えというならそういう人間なのだとしか思えないです。少なくとも、こういう風に話をしない限り、全額祖母の金銭面の負担はうちの両親がするものと、自分たちの母親のことなのに叔父叔母たちは思っているのが、わたしには会話を又聞きしていて分かるのです。
でなければ、せっかく叔父のところへと同居させたにも関わらず、さっさと自宅へ帰ったり、帰したりしないわけだし、施設を探すとか、そんな簡単だけどお金のかかることで済ませようなんてしないはずですし。
だから、こういう風に言ってやって、初めて自分たちも少し金銭面で負担しなければならないと自覚してもらわなくては、うちの両親のためにも困るのです。
わたしは、こうも言いました。
「1万円負担するとかしないとか、勝手に自分で話を進めようとするから、話がうまく進まないし、不利な方向でしかまとまらない。そうじゃなくて、相手に話を預けてしまって、どうするのか考えさせればいい。その結果を聞いて、それ次第でまた検討すればいい。」と。
あ~あ、相変わらず、面倒くさい話だわ。けれども、この状況においてまで両親に最後に嫌な思いをしてほしくはないのです。
「きちんと話をしなくて嫌な思いをするのは、父母なんだから、きちんと話するんだよ」と言っておきました。

この話を電話で母にすると、そばで聞いていた弟が、「さすが、先々のことまでよく考えられる」と言っていたそうで、母も感心したと言います。
わたしにしてみると、ずっとどうしてそのことに関してそう相手に言っておかないんだ!?という疑問ばかりあって、どうして言おうとしないのか、気づかないのかがむしろ不思議なものですが、こういうのって普段の考え方のクセみたいなのが出るのかと思います。
もっともわたしの場合は、以前役所に勤めていたときに仕事をするにあたって、いつもどこに地雷があるか分からないような仕事ばかりだったので、常に色んな予測を立てて回避したり対策を打ちながら事当ることが必要だったこともあって、この手の思考は普通の人よりは働くのかもしれません。
実際、一般的に頭が良いといえるのは弟や母のほうであったりします。
考え方のクセから心の病になる人もいっぱいいるし、一度培ったものってなかなか抜けないものなんですね。

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食べすぎで調子悪い 父の急性重症膵炎  11月26日

この日、母はまた実家へと自分で車を運転して仕事を終えてから、父の病室へ16時30分ころに行きました。

母が実家へ帰ると、裏の一軒家にまだ祖母が居座っていたそうです。
函館の叔父さんのところから、そそくさと勝手に帰ってきたのだから、そりゃずっと居座っているかと思います
。けれど、これも父母の心配事の種になっています。

母が父に、まだ居座っている話しをすると、修叔父さんが父の病室にお見舞いに来たときに父が話を聞いたところ、修叔父さんがすんでいるところは函館の中でも山の方で住宅街だそうで、近くに買い物する場所もないので、日中でかけるところも無く退屈で、お風呂は高さがあるので湯船に入るときは修おじさんの奥さんであるキヨ子叔母さんが抱っこして入れないと入れないそうです。
元々、買い物なんて自分では行かず、必ず父に車で送ってもらっていました。だから、何をいまさらという感じの話です。
施設で入れるところがあったということで、現在問い合わせ中だそうですが、母は簡単にすぐに入れてくれるところなんてないと言います。それに、仮に入ったとして祖母は「私は施設なんかに行かない!」とがんばっていた人だし、誰とも一緒に住みたくないからこうして今まで祖父が無くなったあともずっと一人で暮らしているし、修叔父さんのところへ行っても1週間も持たずに帰ってくる始末です。
現在、修叔父さんと鈴木みよちゃん(祖母の姉妹?)と相談中だそうで、母は任せておけばいいと思ってはいるけれど、父は自分の親なのでやはり冬が心配のようです。

実は、昨日の血液の状態が一気に良くなって快調だったのに、今日は一変不調だと言います。
流動食を増やした性で、15回も下痢をしていたと言います。
熱もその性か37度9まで上がりました。
先生も、また減らして様子をみるといっていたそうです。
ひどい下痢なので、当然いつもよりも更に軟便パッドの消費が激しいのですが、病院の売店へ行くと品切れで、現在土曜日のためにあさっての月曜に発注して木曜に入荷されるとのことでした。全部うちが買い占めていたみたいですが、その後入荷もしていなかったようです。普通の薬局に売っていないから、困りますね。
事情を看護婦さんに話すと、普通のドラッグストアに売っているタイプのものでもいいとのことだそうです。

夜は、安眠できたそうです。
相変わらず、窓際のお向かいさんは、ブツブツと、今度は詩の朗読をしていて、その激しさは夜になるとやはり増すそうですが、父も疲れがあったのか、それとも慣れたのでしょうか!?

脚は、もっと上にあがるようになったそうです。
二の腕は皮ばかりになってプルプルしていたと母は言います。
けれども腕の力もこの前よりはマシになっていて、上がるようになったみたいです。
字も、寝ながらなので書きにくいけれど、色々書いて記録しているようです。
流動食はレモン味とか、薬の回数なんかを書いていました。

点滴の袋の色が、透明オレンジだったそうですが、以前動注の治療から目覚めたばかりの頃、周りにいる人間の肌の色がこんな感じに見えていたと言います。それで、周囲に対して警戒し、不審に思ったようですが、薬か何かの性で、目が正常に見えなくなっていたようです。

今日は、看護婦さんが湯のみ茶碗を割ってしまったそうです。
安いものなので構わないけれど、今度はプラスチックのものにすると母は言っていました。

今年はこういう事情もあってお歳暮などは一切しないということから、わたしの夫の実家にも何も送らないように言って欲しいと、母に言われました。
母からも、今回失礼がありましたら申し訳ございませんと、手紙を送っておいたそうです。

この日母は自宅へ帰って、野菜なんかもご近所親戚に配り、時間がかかったようですが、神社(うちの親戚にあたります)にも挨拶へ行くと、父の入院に関してはやはりビックリしていたそうです。

わたしは母に、一般病棟に移ったときに父がパソコン使えるかどうか、看護婦さんに聞いておいて使えるなら実家から持ってきておいたら?と言うと、聞くまでもなく入院のしおりに書いてあって、1ヶ月1000円程度で持ち込んでネットもできるそうです。
今回は荷物となるので、30日に廃車などがあるのでまた実家へと来る際には弟も一緒にくるそうなので、そのときに持っていくといいました。

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第3の山を越えた!重症急性膵炎新たな回復の兆し 11月24~25日

24日、この日は母もお見舞いにいけず、誰も父のところへ行っていません。
23日まで5連続で毎日母とわたしでお見舞いに行っていていたので、少しさみしいような、それともちょっとしたお休みに感じているのかもしれません。

母はこの日、実家であるお店へと車を自分で1時間30分走らせて帰り、店の仕事を片付けました。
相変わらず店の前に「春まで休業します」と書いているのに、バイクを店の前に放置していったり、自転車を買ったお客さんが買うときに預かってくれると言ったと怒っているのだそうです。そんなこと言われたってと、母はぶつぶつ言いますが、お客様側からすれば、口約束でも言ったんだから、こっちの事情なんて関係ないんです。よく母は「そんなことも分からないのか」と、ぶつぶつ言いますが、分からないものなんです。わたしも何度も母に言っています。

それから、留守番電話にもせずに放置していた店の電話ですが、さっそく転送設定をしてみると、じゃんじゃん電話がかかってきたそうです。
そりゃ、何で電話に出ないと思って何度もかけていたお客様がいたからでしょうに。
母は一度かけていた転送電話を、どうせ受け取ってもレンタカーだって断らなければならないし、転送で受ければその分うちが電話代を払わないとならないから無駄だと言って切ってしまいました。それではマズイので、わたしがNTTに問い合わせたりしたけどイマイチ料金的に難しかったのですが、父の携帯電話に転送して父の携帯電話を留守番電話設定にすればいい、と発案したものです。
内容としては「春まで休業します・・・・」とちらりと言うとまたそこでも「そんな店の前の貼紙と同じじゃ意味がない」とか言い出す始末です。「電話してくるお客さんは貼紙なんか見ていないからいいんだって!」わたしはこういいましたが、それこそ普段の母の口癖ではないけれど、なんでそんなことも分からないんだって思ってしまう。まぁ、こういう時だから、気づかないことがたくさんあるのだと思います。

ドコモの携帯に留守番電話の設定をする際に、昨日弟に頼んだそうですが、自分でアナウンスを吹き込むことができず、3択でしかえらべないと言います。
わたしはそんなことは無いと思い、ドコモに問い合わせたら、やはりできるみたいです。
わたしは母に電話して、母のドコモの電話から

店においてあるたくさんの植木も、花屋さんに預かってもらう手配をしたのだそうですが、今花屋さんの方が預かりの施設が足りないので、準備が出来次第、後日再び立ち会ってお願いするようです。

集金や、タイヤ交換をタイヤ屋さんに依頼してその準備のための受け渡しなどを一人でやってきたようです。

年賀状の印刷も、「こんなときにやる気しない。年が明けてからでいいんじゃないか」なんて言っていたけれども、印刷会社に依頼してきたそうです。

よく知る方のところへ立ち寄れば、そのまま帰る訳にも行かずに事情を説明したりなんだりで、夜に帰ったようです。
ということで、23日は母も父の病室へは寄らなかったそうです。


24日、岡先生のほうから連絡がありました。
昨日の様子から説明してくれましたが、昨日の朝だけ38度2あったけれど、そのときそれほど熱があったのが逆に不思議なくらい、病状が良くなっているとのことです。他の時間はずっと36度台~あっても37度7だそうです。
ずっと下がらなくて高止まりの横ばいを続けていた白血球は9900まで下がり標準が7000~1万なので急速な回復です(ずっと17000台でした)。
それから、炎症物質も0にならなければいけないところをずっと7~11だったのに、3まで下がったようです。炎症レベルが3というのは、風邪を引いたときでも3くらいにはなるほどのものだそうです。随分安心できるレベルなのではないかと思います。

協会病院の先生が入れてくれた3本の管のうち2本はもう殆ど水が出てこないので、そろそろ抜こうと考えていて、替わりにCTで確認できる他の点在している水たまりを抜くために位置を変えたいと考えていて、本日15~16時に処置するとのことでした。
母はそのため17時すぎに病院へ行き、先生のお話を聞くそうです。

そうそう、函館協会病院の父の処置を担当してくださった先生は、どうやら院長先生で膵臓の権威の先生だそうです。弟が調べました。

こうして、夕方処置が終わった時間を見計らって母は病院へと行きました。
先生から処置に関しての説明を聞くと、4本あった水を抜くための管は2本抜いたそうです。
膵臓下に協会病院の先生が施してくれた管も、水が出なかったので抜こうと引っ張って下にずらしたら出てきたので、またしばらくここから抜くそうです。

肺に溜まった水も、一度注射器のようなもので抜いたけれども、その後利尿剤なども使っていたにも関わらず減りもせずに横ばいだったのが、ずっと少なくなったそうです!

父は、本人が元気だと言えるほど、今日は調子が良くなったみたいです。
三面鏡が置いてあったのでそのことについて母が聞くと、IUCの貸し出しのもので、リハビリの一つとして自分で髭剃りをしたそうです。
ついわたしがお見舞いしたときには、自分でリップクリームも塗るのも大変そうだったからわたしが塗ってあげたくらいだったし、文字もたくさんは書かずにノートにちょっと書いておくのがやっとという印象を受けていたので、すごい回復なのではないかと思いました。

おとといから、口から栄養を摂るようになり、流動食を胃へ鼻から点滴として入れる管も取り外しました。
鼻のチューブをとったら楽になったと父が言っていたそうです。それを聞いてわたしも、消化ができるのなら何故口から食べられないのかと疑問に思って先生に質問してよかったと思いました。
流動食は確かにすっぱくて美味しいものではないようですが、父はそれでも口から摂取する方が良かったようで、点滴だと少しずつなので満足感も全然無かったようですが、少しはマシになったようです。
1日500ccまでだった、水の摂取制限もなくなったようです。もっとも、水とは言ってもイオン化された特殊な水のままだとは思います。

セコムの警備は、会社に求められた休職届けをだしておいたのですが、改めて本人の意向を確認すると、元気になったらやりたいと言っていたそうです。もっとも母は父の負担にならないようにと、年金だけでも十分やっていけるとは言っておいたそうですが、まずは何かやることがあるほうが張り合いになってよいのかと思います。

実家の裏の別宅に住んでいる、父の母であるわたしの祖母について、わたしが一生懸命説得して函館の叔父さん(父の弟)宅へ行くようにして、一旦は函館に居たのですが1週間と持たずに自宅へと帰っていたことを、母は父に話しました。これから雪が積もったら、誰も雪かきする人いないし、一体どうするのか、また91歳なのにたった一人で住んでいてどうするのか、などなど心配事は尽きません。
母は、祖母が「ケアハウスに相談しようと思うのだけどどうしよう・・?」というような相談をしてきたのだそうですが、母は「父のことと店のことで手一杯だから、自分のことは自分で考えて、自分のもう一人の息子である函館の叔父さんに相談してください」と言ったそうです。
父はそれを聞いて、「どこまで心配かけるんだろうな」と言ったそうです。
母も、「心配かけるようなこと言っちゃってごめん」と言ったそうですが、やはりこの心配もこのときばかりは良い薬になってくれることを願っています。

この日母が父に面会したのは処置後だったために、まだ麻酔薬が完全に抜け切っていなくて、うたた寝状態で話していたそうです。
昨日もおとといも、窓側で父の向えに新しく入ってきたおじいちゃんが、兵隊のときに号令かけていたときのことを思い出して四六時中ごちゃごちゃ言っていて、うるさくて眠れないということも影響しているかもしれません。ことに夜になるとそのうるささは拍車をかけてくるのだそうです。部屋の回転が速いICUなので、早く別の部屋になることを願うばかりです。

危篤ということで呼ばれた翌日から、鎮静剤をずっとかけていた頃に、わたしが耳元で大きな声で色々話しかけていた性か、父はわたしが毎日のようにお見舞いに来てくれたというのだそうです。
母は「薬で寝ていたときは3日、今回は5日だったから、毎日ではない」と言いました。
けれどもちょっとの差ではありますが、薬で寝ていたときは4日行ってます。
わたしがこうしてお見舞いに行けるのも、ICUに入れない息子怜をきちんと面倒みてくれる夫が、休みを取ってお見舞いに当ててくれているからなんですけれどね。
母はわたしに「ちょっとしかお見舞い行っていないのに、票稼いだね」なんて言います。
自分のほうがよほどうちの夫よりも感じ悪いこと言っているとは気づかないのでしょうか、不思議です。

母は、明日は車検受け渡しの関係でまた実家へ行かなければならないので、もしかしたら時間がかかってお見舞いにこれないかもしれないと伝えたそうです。
お歳暮には毎年丸大ハムのお得なセットを頼んでいたのだそうですが、この際不要かと父に相談したそうで、わたしもそれは不要だと言いました。
他にも、廃車にする車がたくさんで、父が病院へと乗ってきた車もその一つなのですが、お客様から預かった廃車予定の車も順次廃車にしていかないとお客様へ税金がかかってしまうので、母のやることはたくさんあります。

わたしが先日19~23日にお見舞いに行っていて、22日に先生から聞いた話では、横ばいで良くはなっていないという話だけで、悪くはなっていないだけマシかと思いながらも随分がっかりした覚えがありますが、今日は一気に容態が良くなったようで、本当に嬉しいです。
この調子で、感染症などもおこさなければ、間違いなく順調に回復できるという兆しです。
急性重症膵炎の死亡率は、発症後1ヶ月を越して2ヶ月目になると8%までに激減するのです。死亡例の半数は発症後2週間以内の早期死亡であり、主な死因は循環不全に伴う臓器不全です。一般に後期死亡例は、主に感染症合併症、特に感染性膵壊死に起因する場合が多いので、この辺を乗り越えられればまずは良し。現在、臓器不全や膵壊死などはおこっていないので、まずは落ち着いていると考えて良いかと思います。

けれども、急性膵炎の機能的予後に関しては、3分の1から半数に内分泌的あるいは外分泌的機能障害(糖尿病、脂肪便)が起こるが、全身状態はおおむね良好で、通常の社会生活を送っているという報告が多い。脂肪便は経年的に軽快する傾向があるけれど、糖尿病は悪化するという。急性膵炎の内分泌障害は、外科的切除により起こるという主張もあり、重症膵炎に対して保存的治療を行った群と、外科的切除を行った群とで、インスリン分泌能に差がみられてという。父の場合は外科的切除はしていないので、糖尿病の心配は少しはすくないかもしれません。
重症急性膵炎を対象とした全国的な予後調査では、12年後15%が死亡(これって6~7人に一人ってことです。)、再発が22%、慢性膵炎への移行が24%、糖尿病が13%であった。死因としては悪性腫瘍が最も多く36%、一年以内に再発を経験した症例が46%であったといいます。
基本的に膵炎は飲酒が原因の場合が殆どです。父の場合は飲酒も原因の一つなのかもしれませんが、検査のせいということが多分にあります。しかしやはり原因の一つと考えられる禁酒をするに越したことはないようです。

第三の山を乗り越えたという感じです。

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次はまた2週間後に  11月23日

今日は、父のお見舞い5連日最終日です。
午前中に行くと、本来お見舞いの時間ではないので、短時間でと警告されました。
どの道、今日は連日の睡眠不足解消のために睡眠薬で眠っているので、なかなか目を覚ますことができないでいます。

昨日、腕をかゆがっていたので、アロエをそっと塗りました。
嫌がっていたけれど、きくはずなので、片方の腕だけ付けて、試してもらおうと思いました。
うっすらと目をあけたので、「今日帰るけど12月3日頃からまた来るね」とだけ言うと、「気をつけて帰ってね」と言ってくれました。
そのまま目を閉じましたが、母がセコムの仕事の休職届けが欲しいと話をしていると、目を一瞬開けましたが興味があったからなのでしょう。またうとうと眠ってしまいました。
こうして弟と母も一緒に行ったのですが、話ししたのはわたしだけ。
弟は1週間ぶりだったのに、と母は言います。

そして、実家経由でまた千歳へと帰りました。

実家には相変わらずたくさんのクロネコメール便が入っています。
3回ほど転送依頼をかけているのに、まだ入るので、わたしからもう一度電話しておきました。

それから、裏の倉庫にある野菜類をしばれないように店のほうへ移動しました。

電話回線について、NTTに相談の電話をかけました。
実は、現在転送電話にしているために留守番電話が使えないのですが、NTTの方で留守番電話のような回線に関するアナウンスを流せないかどうかというものです。
転送しても、結局お断りする電話ばかりなので、転送料金が高いし、現在転送をやめて自宅にかかってくる電話を放置していると言います。
母はそれでお客さんがいなくなっても仕方ないと言いますが、それじゃ、まずいのではないかと思います。
結局NTTでも方法はあるにせよ、5万円ほどかかってしまうので断念しました。
何かいい方法はないかと考え続けたら、帰宅後夜寝る前に、転送電話を設定して携帯電話に転送されるようにして、携帯電話に留守電話のアナウンスを好きなように入れればいいのではないかと思いました。
明日、早速母に言ってみようと思います。

店の前の貼紙も、少し変更しました。
「店主不在のため、皆様にはご迷惑をおかけしますが貼るまで休業致します」に加えて、車の用の方への連絡先、店のものへの連絡先を掲載しました。

そして、車を走らせました。
1時間も車を走らせないうちに、猛烈に眠くなってしまったので夫に運転をかわってもらいました。
行きは全てわたしが運転したのですが(実家から函館までは夫も別に車を運転しまいた)、帰りの道は、トータル5時間ほどの運転時間のうち、4時間近くは夫が運転しました。
弟宅では毎日9時間は眠っていたのに、何故こんなに眠いのか、自分でも不思議です。

自宅に着くと、すっかり実家から来年のカレンダーをいただく約束を忘れて帰ってきてしまったことに気づきました。

母に到着の電話をして、それから、夫の実家に電話をしました。
義父は27日に旅行ついでにお見舞いに行くと、父がICUで会えなくても母に挨拶に行きたいと言っていましたが、母の意向としてはとてもじゃないけれど時間を待ち合わせして会えないと言います。
その気持ちはこの5日間でよく分かりました。
地味にたくさんやること、買って行かなければならないもの、医師の時間に合わせなければならないこと、実家の店のことで考えて処理しなければならないこと、日々の生活用品を買ったり料理しなければないことなどがあるのです。
最初義父に電話を変わったのは夫だったために、怒りながら迷惑だから行くなと言います。
電話を変わってもらい、病状が平行線であって、母から聞いていたよりも病状思わしくないこと、ICUは先生の話からあと3~4週間はまず出られないだろうと言うこと、お気持ちだけはありがたく受け取らせていただくということなどなどを何度も説明しました。
義父は旅行の途中で仲間から抜けて、ホテルのチェックインも遅くなってもいい手配をしたんだと、不満そうに言ってましたが、こればっかりは義父の気の済むようにはできる話ではないものですから。

わたしもアトピーがだいぶひどくなってしまいました。
ストレスと運動不足によるものが大きいのではないかと思いました。
そこで始めて、購入してから全く見たことの無かったストレッチ用のDVDを見て、35分ほど軽い運動をしました。
一気に眠くなりましたが、せっかくだからブログを書いてから眠ろうと思いました。

そうそう、昨日は母に雑誌の付録にレスポのマルチケースがついていたのですが、付録だけ欲しいというのでプレゼントして、本はamazonに出品していたら、早速今晩売れました。
送料手数料等を差し引くと49円の利益です。定価690円のものなので、ちょっと安く買えたと思えばいいかもしれません。

明日からはまた色んなことに忙しいけれど、がんばってオークションや運動も出来ればいいなと思っています。

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駐車場の問題 それから久しぶりの先生の説明  11月22日

昨晩、弟宅にて過ごしていると、ピンポンがなりました。
隣の建物の住人でした。
うちの車がゴミステーションの前に路駐しているのですが、入庫するときにぶつかりそうで困るということでした。駐車場は、弟が大家さんに相談して、今日までは入居者がいないところの駐車場を一台分、家の前のものを借りているのですが、それも今日で終わりのために半月契約で函館桔梗駅前に16日から借りているので、そちらへと移動させました。

この一帯は住宅街のために駐車場がないのです。
桔梗駅に駐車場を借りているとはいっても、そこまで徒歩で20分程度かかります。
母も60歳を過ぎているので、慣れない土地での冬を駐車場が遠い中過ごすというのはいささか大変なものです。

わたしや夫もこちらへ来てからどこか駐車場がないか探していたのですが、なかなかいい駐車場がありませんでした。

しかしこの辺は駐車場というものはないけれど、新興住宅街で、空き地とまだ売れていない住宅がたくさんあるのです。
母に言うと、連絡先が分からないとか、たっているテントにはいつも誰もいないと言います。
だけど、「東日本ハウス」とデカデカと旗がたっているではありませんか。

わたしは、考えた作戦を母に話しました。
住宅地で売れていない住宅があれば、そこの駐車場は冬でも整備していると思うし雪かきもしなくて済む。春までというある程度の目安もあるし、それと現在の事情を伝えて、駅前が月3800円だというので3000円程度でお願いしたい、いつでも不都合あれば退去する、それから新車なので景観を損なわないということで支店長と掛け合えば、考えてもらえるかもしれない。駄目なら近くにある生協にお願いしよう。

どの道、今晩には車を移動しなければならず、駅前の駐車場は1台分しか借りられないので、うちの車を停める場所を確保しなければなりませんでした。いよいよなったら、うちの車は弟の勤務先に一晩お願いしようと言う話になっていました。

朝、東日本ハウス函館支店へ電話しました。
東日本ハウス函館支店
「お願いの相談があって、支店長とお話したい」というと、すぐに支店長の山栄さんとお話ができました。
事情を話すと、9時10分に空き地の白いテント前で待ち合わせということで、すぐにお会いすることが出来ました。
予め、母には名刺サイズのひと言箋を渡し、そこに弟の住所と母の氏名電話番号を書いて、会ったときに支社長に渡すように準備しておきました。

案内されたのは、弟宅から歩いて1分もしない目と鼻の先のアパートの隣の空き地でした。何台か来る時も、停まっていて構わない、事故時は責任持たないということで、なんと無料で貸してくださいました。
とても近い場所で、とても親切にしていただくことが出来て、本当に感謝しています!!
今晩から特に2台駐車スペースが必要だったので、大変助かりました。
後は雪かきを買ってくればオッケーです。
母も、冬に駐車場が遠いのは不安だったようで、とても喜んでもらえました。

さて、駅前の弟が契約してくれた駐車場ですが、こちらは現在半月契約なのですが、その分返金してもらえないとは思いつつも、明日弟が休みの日なので、弟に解約対応をしてもらうとのことでした。
弟としては、駅前の駐車場はしっかり管理してくれるし、ということもあって、あまり面白くは無かったようです。

今日は、病院の先生とやっとお話ができる日なのですが、13時からということなので、12時15分には弟宅を出発します。
お昼の材料の買出しは、あんまりにも息子が退屈しているので、夫と息子が歩いていくことになりました。寒いとか嫌がっていた息子ですが、自分からじゃんけんに勝ったら行かないと提案して負けたので、連れていかれました。

12時に出発し、先生との面談が出来そうな13時に間に合うように出かけました。
ICUの部屋で父と面会していると、外来対応のために一度そちらへ向かい、先生の診察室へと行きました。
けれど、外来のところに呼ばれてからがえらく長かった。もう1時間くらいは軽く待たされました。それほど忙しい中、先生はお時間を取ってくださいました。

岡先生の説明では、父の重症急性膵炎によって広がった、膿のようなものは、抜けるところは抜けたけれど、まだまだ点在していて、新しく抜かなければならなかったり、管のサイズを現在病院にない大きなサイズに変更するための手配をしていたり、まだまだ予断が許されない状況のようです。
父とはあと早ければ2週間程度でICUから一般病棟へ移れるのではないかと話をしていましたが、どうかと思い聞いてみると、明日の血液検査の結果で、今後の処置が決まるようで、今の段階ではまだなんともいえないそうです。
それでも、白血球の値も下がり14000程度(これは7千~1万程度で正常値)、熱は日中だけは下がり夜は38度になって解熱剤を使うこともある、炎症物質は7程度で処置をしたときには11くらいに上がるらしいですが、どれも横ばいで、悪くは無いけれども、母とわたしが考えていたほどよくもなっていないようです。てっきり、悪い水を抜いたから一気に良くなるのかと思いきや、まだまだ分散して体の中にあるようですしね。

流動食を胃の中へ直接入れていると言うことは、現在何にも食べられないと言う状況ではないのか確認したところ、食べられないというよりは、この流動食は酸っぱくて一般的にはおいしくは無いものだそうです。
ただ、本人は食べたがっているけれども、単に味が悪いと言う理由だけであれば、本人が気に入れば口から摂ってみるというのはどうかと聞いてみたところ、試してみることになりました。
心配なのは、点滴で少量ずつ胃に入っていたものが、ただでさえ現在お腹がときどき病むのに、3回程度に分けてまとめて食べても消化器に負担がかからないかということです。これは本人も、何が何でも食べたいというわけではないということで、一番心配であることのようです。
まず試してみると、味は悪くないと言います。現在悪くなくても、突然駄目になるときもあるから、そのときは遠慮なく相談するようにとわたしは言いました。
看護婦さんにも現在点滴で300ccを一日に与えているという感じのものを1回100で3回からと言われたので、わたしは最初は200を点滴からで口から一日3回、各30cc程度からと言う感じではじめられないかと聞くと、鼻からチューブを通しているのがどうしても邪魔になってしまうというのです。
駄目であれば、またチューブをつけてもらえばいいのです。
そのとき看護士さんが二人立ち会っていましたが、うち男性のほうが、「食べ物と言うものはやはり口を通ったほうが活力になるからいいのではないかと思う」ともお話されていました。父の方は要はお腹に負担がかからなければいいし、そうでないのなら無理したくは無いという感じでもあります。
父は、「岡先生はこういうことを今までしたことがあるのか」と看護婦さんに聞くので、大抵の患者はおとなしく流動食を口から食べると言うことはしないだろうと思っての質問だったと思います。
看護婦さんはもちろん、岡先生本人じゃないと分からないと答えましたが。
おおむねそうするということでしたが、夕方先生が直接父と面会するので、そのときにもう一度話しするとうことでした。

今日の父は、行ってみると酸素レベルが昨日はほとんど100だったのに98とかなので、少し息苦しいのかと聞けば、あまり調子がよくないのだそうです。
熱は、昨日の昼間と同じ36度9でした。これがいつも上がってしまうという夕方に上がらないことを願っています。
最近雪が降った性なのか、夜でも急患がたくさんで、なかなか眠れないのだそうです。看護婦さんが今夜はゆっくり休まないといけないからと、睡眠薬を使うといっていました。ICUって、もっと静かなのかと思っていたのですが、電気はそれほど暗くもならないし、人の出入りも多いし、父の4人部屋を見ているだけでも、昨日いた人が出て次の別な人が運ばれてきたり忙しい感じです。

父は、これまでICU症候群と思われる発言の色々話したことの理由を、説明してくれました。
わたしが看護婦さんだったというのは、夢で見たり、似ている人がいたからだとか、ちゃんと夢だとわかってもきたようです。
父が呼吸器が外れて弟が初めて面会に行ったとき、「指芸してみろ」と言った理由は、肌の色が赤っぽいピンクのようなとても普通の肌には見えずにしかも手振りが大きくて、弟らしく見えなくて、韓国人か何かが化けているのだと思ったそうです。で、指芸が出来ると、それは弟に変身している韓国人だと思ったそうです。
そもそもなぜそんなことを思ったかというと、五稜郭病院が中国か韓国に乗っ取られて、臓器売買組織の陰謀に絡んでいて、だから岡先生なんかも信用できなかったと言います。現在は、その疑いは一応晴れているようです。

今日は、左足の指先についていた管が、手に移っていたので、両足裏をアロエを塗って揉んできました。それぞれ5分程度、左足はより痛がっていたので軽く、時間も少々少なめにしておきました。左側のほうが、全体的に水や膿などが溜まっているほうなので、無理をしない方が良いと思いました。

昨日に引き続き、横になったときに、背中を軽くもみました。肩や首も結構痛いようです。腕も辛いらしいので、腕もマッサージしました。寝たきりなので、無理もないです。

アロエを足の裏に貼ると、熱も高い性かふやけるらしいので、看護婦さんが定期的に外したりしているとのことです。今日もアロエを持っていって、貼っておきました。

先生の説明を受けてから、父に2週間とわたしは思ったけれども、明日血液検査して、管を太いタイプに交換して、そして様子をみてからじゃないとなんとも言えない状態だそうです。
新しい管の話を聞くと「イヤだ、イヤだ、イヤだ」とつぶやいていました。
2週間よりもう少しICUにいなきゃないみたいだというと、聞いてるだけで疲れてくると言いました。いいニュース意外はあまり言わないほうがいいのかもしれません。けれども、あまり隠し立てしていると、不信感に繋がるだろうと思って、言っておくのが良いかと思います。少し嬉しいニュースも絡めてがいいのかと思い、一般病棟に移らないと食事は出来ないといっていたけれど、そういうわけでもなく時期がくればできるそうだよと言いました。かなり食べたがっているので、ちょっとだけ良いニュースです。

明日午前中に来たら、しばらく12月頭までこれないと言うと、「思い出したときに、ちょっと寄ってみようかなというときだけだといい。生活のペースもあるから」と言います。「じゃあ、一応来るつもりでいるけれど、来れたら来るね。あと一般病棟に移ったら、怜がすぐに会いたいと言っているのですぐ来るね」と言いました。
現在、軟便のためしょっちゅうオムツ交換をお願いしないといけないのですが、その頻度が高いから、何度も呼んでいるとまたかと思われるからと言って、何度か出るのを待ってから交換を依頼しているのだと言います。わたしは、「それも含めて看護婦さんの仕事だから、いちいちそんなこと考えてばかりの人であれば務まらないし、回数が多くて我慢していてかぶれたって大変でしょ。遠慮しないで言うようにしないと」と言いました。実際、かぶれがひどくなっているようです。
なんだか、背中も足も揉んで貰うのをちょっと遠慮しているようですし、それほど遠慮しなくてもいいのにと思ってしまいます。

それから、サイトカインという物質が確実に膵炎の炎症に関わると言うことがはっきりしたという記事が近日あって、岡先生は以前色々な効くのではないかという確定ではないレベルの薬がたくさんあって全部を使っているわけではないということをおっしゃっていたので、記事を持参し、ご存知のことだと思うけれどサイトカインに関する薬を使っていないものがあれば使っていただきたいということで言いましたが、先生はこれは以前からも言われていたことでやはりマウスの実験段階なので正式な薬というものがないということで言われていました。
膵炎2011年11月11日のニュース

それと、膵炎にヨーグルトは厳禁と聞いていたけれど、こんなニュースも発見しました。だいぶ昔の記事のようです。
膵炎とビフィズス菌

今日は、先生から劇的に良くなっているということでお話が聞けると思っていたのに、横ばいのようで少し残念でしたが、現状悪くは無いので、ゆっくりと粘るしかないようです。

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確実に容態安定へ  11月21日

21日月曜日。
今日は、平日のために午後から病院へと向かいました。
これまで大抵駐車場と言えば、すんなり入れたのですが、ややしばらく待ちました。
大雪も降っていたので、皆、地下の駐車場を利用したいためということもあるのかもしれません。
うちも今日は荷物がそれほど多くも無かったのですが、3台待てば入れるということで待ちました。

ICUの病室へ行くと、父のいるガラス張りの4人部屋の配置が変わっていて、これまで入り口から入って左の手前だったのが、奥の左側になっていて、手前の場所はテレビも見れないけれど、奥は見ることができる場所です。
あまりテレビを見るわけでもないのですが、以前テレビカードもイヤホンも買ったことだし、退屈すぎて相変わらず時計がおかしい(時間がたつのが暇すぎて遅すぎるみたいです)というので、丁度よかったのではないかと思います。

今日は昨日に引き続き、アロエを右足の裏に貼りました。
昨日つけたのは、大きすぎて取れてしまったようです。
粘着テープを失敗して貼り付けたら、看護婦さんが後で付けておいてくれるといってくださいました。
今日の看護婦さんは、若い女性の方で、説明などはあまりしないほうでしたが親切な方でした。

今日の熱は、母とわたしが立会いの間にはかる時間が来ました。36.9です。
だいぶ下がってきています。
それでも途中で、暑いと布団から出て、熱が上がっているかもしれないと訴えるので、もう一度はかってみると、やはり同じでした。
痰は、昨日も気になりましたが、やはり今日も出るようです。
けれども、声はだいぶましにはなってきたような気もします。
昨日と比べて調子はどうかと聞くと、まぁまぁ、だといいます。
悪くはなっていないと言います。
岡先生に悪い液を搾り出される作業をされたのかと聞くと、今朝されたけれど、痛くなかったといっています。
最初の頃は本当にひどく痛むようで、辛くて仕方なかったようですが、今日は痛くないということで、だいぶ膿も出きった感じなのでしょうか。横にあるパックには液がたまってはいますけれども。

今日は持ってきたアロエを張る前に、足裏マッサージをしました。
足の裏を刺激することで、毒物を体の外に排出しやすくなるというので、アロエを塗って滑りやすくして、そのままマッサージしました。
やったことないので要領も分からないので、適当にやってみましたが、アロエがぬるぬるするので手が滑って2回ほど引っかいてしまいました。
あと、土踏まずでゴリゴリするところがあったのでたくさんやると痛かったようです。
寝てから初めての試みなので、あまりたくさんやり過ぎないように、4~5分程度にしておきました。

背中が痛いようで、途中横向きになったので、背中もマッサージしようかと聞くと、いらないと断るけれども、少しやっておきました。
なにせ加減が分からないので、軽めにしておきました。

右足の太ももら辺やふくらはぎがあかくかぶれた感じになっているので、アロエを塗ると、気持ち悪がっていたのでやめておきました。
炎症にも効くんですけどね、確かに気持ち悪いかもしれません。
いいんです、とにかく少しでも気休め程度にでもよくなるのであれば。

神社で健康祈願して、すっかり治って後遺症も残らないようにとお祈りしてきたお守りを、写真を飾っているところへ一緒に引っ掛けてきました。
それから、怜のビデオレターを見せました。
「じぃじ、怜は元気だから、じぃじが早く元気になってね」これだけですが、以前父がビデオメッセージを怜宛に撮影したときに、怜に早く風邪を治して元気になるんだよというようなことを言ってからというもの、毎度怜は「怜はいいから、じぃじが元気にならなくっちゃね」と言い続けているのです。
今回、やっとビデオの前でそのメッセージを伝えることができて、良かったです。
怜が最後に「バイバーイ」と手を振ると、画面に向けてですが、父もバイバイしていました。

便が、軟便なので、出したい感じがしてもなかなかでないと言います。
出したあとは、看護婦さんを呼ばなくていいのかと聞くと、しみこませてからでないと軟便だから呼べないと言います。毎回こうではかぶれるんじゃないかと心配だったので、看護婦さんにしみこませてから呼んだほうがいいのですかと聞くと、そんなことは無いらしくすぐ呼んでと言われました。
父としては、交換ともなるとわたしたちが帰ってしまうからと思って我慢していたのかもしれませんが、かぶれるほうがもっと心配です。

19日から毎日病室へと来ていますが、今回まだ岡先生とお話していないので、血液の状態などが分からないので父に聞いてみました。
父は「よくなってますね~、よくなってますね~と言う」と、それがどうしたという風に言いました。
それは良かった!と母と二人で喜んだのですが、父にしてみると、現在の血液検査など当てにならないなんて表散るのかもしれません。
どうなのかと思い、父に聞いてみました。
「どうだい、今でも血を培養したらスーパーサイヤ人が出てきそうかい?」「いいや、出てこない」
現実を取り戻したのか、調子がそこまで悪くなくなったということなのか、どちらにでも捉えられるけれど、以前は本気でスーパーサイヤ人が出てくるかもと信じていたので、良い答えです。

父には、先生と次回お話できたら、どの程度で一般病棟に移れるのか、目安だけでも聞いてみるねと言うと、「いいや、はっきり言わないから駄目だ」と言います。
これまでは恐らくまだ五分五分で生死の境目にいたものだからなんとも言えなかっただけだから、今聞けば少しは目安みたいなもの教えてくれると思うよ、と言いました。丁度CTもとることだし、先生からも説明しやすいとも思います。
まぁ、それでも退院までは、半年だとわたしが言っても母はもうちょっと早いんじゃないかというし、少し一般から見ても遅いのかもしれない。だから5ヶ月~7ヶ月と思っていればいいんじゃない?と言うと、黙ってうなずいていました。
母はその様子を見て、「長くかかるって覚悟しているんだろうか」なんていうので、以前わたしが半年で退院できると言ったときに「もっとかかるんじゃないか」と言ったということを話ました。
母は、店に「春まで休業」の貼紙をしたのにも関わらず、しかもわたしも大分前から半年だといっているのにも関わらず、いまだにもっと早く年末くらに帰ってくればなんて思っていたようです。

こんな調子なので、函館に半年いなきゃないんだということを改めて説明し、昨日はコープの買い物カードを作ったりもしました。
そういえば60歳以上は毎週木曜日5%オフなんですね。
しかも、カードを作ることで、エコバッグ、パン粉、片栗粉、ラップなんかがもらえました。
パン粉や片栗粉なんかは、函館の弟宅になくて、また24日頃お客様対応のために実家へ戻ったときにとってこようと言っていたところなので、丁度よかったです。

夕方、CTを取るが、時間などは決まっていなくて、そのときに先生とお話できるといいましたが、明日に先生とのお話の時間を取っていただくということで、後ほど面会時間の連絡待ちということになり、帰りました。

買える前に、4階の事務室へと寄り、どうせないだろうと思いながらも最後に父の車の鍵があるかどうか聞きました。それから、駐車場の駐輪の表示が11月3日までを予定していたものだから、そのままでずっと動かせずにいるということを伝え、取り計らっていただけるようお願いしておきました。


今日は、帰りの車の中で、お店の今後のことを話していました。
元気になって戻ってくるのが春だとして、すぐに店の仕事をなんでもできるわけでもないし、本人が店をやりたいなら今閉めてしまうわけにもいかない。そもそも、裏に住んでいる祖母の生活費を払うためにも店をあけていなければならないから、どうすればよいものかと言います。裏のことを考えなければ、店なんかさっさと閉めて、年金だけで悠々自適に暮らしていくんだけどと。

現在はどうしているのかと聞くと、「こんな状況なので、稼ぎもないし、当然裏に払うお金なんかないし、そのまま知らない顔しておく」と言います。払う気はないということです。
ちなみに祖母の家計簿の内訳をここで説明してしまうと、毎月5万円を生活費として父から渡していて、祖母はそれに自分の年金2万5千円を上乗せして使っています。家賃や、家にかかる税金類は全て父が払っているので、その中から支払う必要はありません。
7万5千円あれば、食費や電気、電話、ガス、水道、全部払っても十分やっていける学ではないかと思いますが、何に使ってしまうのでしょうか?いつも遠まわしにお金がないという話ばかりするので、うちの両親に嫌われています。
今月の給料(名義上何もしていないけれど役員ということなので)ということで母が渡しに行くと、「やぁ良かった、これで今日の食事を買いにいける」などと、いつもカツカツというアピールをしてくるのだとか。

91歳で、食事の支度も大変だし、母も何かと色々気を遣っておかずを持って行ったりもしていたけれども、祖母は何かと難癖をつけることが多いらしく、母はしょっちゅう怒っていました。そんならいっそ渡さなければいいのですが、それでも一応、落ち着く頃には渡して、また怒ってを繰り返してきましたが、最近いよいよ限界のようでしばらくおかずを持っていくことも無くなっていました。
ヘルパーさんに週1回のお弁当サービス1食250円が使えると言う説明を受けると、「そんなお金高くてとてもじゃないけど払えない!」と言ったそうです。調査と確認を兼ねて、後に電話でヘルパーさんが祖母の毎月のお金やら生活に必要なお金などを話すると、大抵のお年よりはもっと少ない額でやっている人もいるし、それだけもらっていて一食分が高いと言うのはどういうものかと言ったのだそうです。
1食250円なんて、自炊しても、ガス代やら何やら合わせると間に合わないくらいじゃないかと思ってしまいます。そんなに安くていいの?という金額なのに、どうしてこう不満を言いたがるか、よく分かりません。

こんな祖母なのですが、父が倒れて母は給料である5万を渡す気がないといいます。
どうなるんだろうね?
母は「渡したい気持ちはやまやまだけど、こういう状況で収入もないし、どうすることもできない。病院代も、おむつ代もかかるし、収入のない現状どうすることもできない」と言うといいます。
わたしはこう付け加えると言いと言いました「頼れる息子はこの人だけじゃないでしょ?他に2人いるのだから彼らに相談してみたら」と。
それから、母の話を聞いていると今後も払いたくない(当然と言えば当然)ようなので、他の2人の兄弟に25000円づつ支払いするようお願いすればいいのではないかと言いました。
けれども母は、土地をもらっているのだからと言ってくるに違いないと言います。
わたしはもしそういってきたら、現状どこからもお金をだせないから、土地を売ってしまってもいいかと聞けばいいと言いました。実際売れたら、そこからこれまで通り、5万円づつ支払えばいいのです。
で、家はどこかにアパート借りればいいのですから。

さんざん文句つけてばかりで、お金もせびってばかりで、年取ってこんな調子で嫌われて、息子にすらどうしようもないと思われて、なんだかこんな生き方は哀れです。
父も一度自分の母親である祖母に、お金が足りないって文句ばかり言って!と怒ったことがあるそうです。「いつ私がそんな風に文句いった!?」と逆切れしたそうですが、十分遠まわしにいつもいつも文句ばかり言っています。

もし、父が元気になって兄弟たちに祖母の面倒について渋ってきたときに一言言ってやりたい。嫌とは言わせない。うちの両親が店を閉めて別な土地で暮らすのであれば、あとはあなたたちが面倒見なさい。自分の親でしょう?金銭面だけでも、少しの援助も今までしてこなかったのだから、これまでやってきた人に引き続きそれを求めるのは筋が通らない。こうして現状できなくなっているのだから、後はよろしく。それとも自分の親なのに、残りわずかな人生の面倒すら見れないというのか?ということです。
たまに両親が旅行へ行けば、文句ばっかり。それから、車の売り上げ台数で行ける旅行には、自分が行かないと面白くなく、行ったとしても感謝の気持ちもないようです。

今日は実家の方面でも雪がすごいようで、いつものんきで雪が降ってからタイヤ交換をするお客様の一人がタイヤ交換をしそびれていることから、そんな話を聞きました。
祖母は、勝手に函館にいる父の弟宅から自宅へと戻ってしまったのですが、雪かきは誰もしないんですよ。それを分かった上で自宅へと戻ったのでしょうか?それから、給料もこのままでは期日になっても受け取れないんです。受け取れないときになってから慌ててなんとかなるものなのでしょうか?!
まったく、困ったものです。

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今日は息子怜の誕生日  11月20日

重症急性膵炎をわずらって現在ICUに入っている父をお見舞いに、現在函館へ来ていますが、そんななかで我が息子怜は、5才のお誕生日を迎えました。

毎年、ケーキといえばわたしの手作りでしたが、この状況で弟の宅へお邪魔しているので、今年初めてケーキを購入してのお祝いでした。
函館のそれなりに名の通っている柳屋というお菓子屋が弟の近所の生協の中に店舗があるので、一度こちらに頼んでみようと思いました。
よほど自信家なのかと思われそうですが、苺のお誕生ケーキならわたしが作ったものの方が美味しいのではないかと思ってしまいました。
やっぱりこれからも、事情が無い限りお誕生日やクリスマスはわたしが作ったケーキでいいです。

夜に、その柳谷のケーキと、簡単自作ピザでお祝いでした。プレゼントも、函館に持って来れないもの以外はこちらで夜のパーティーのときにお披露目です。

クラッカーも、夫の実家からいただき、絵本「バムとケロ」シリーズのそらのたびとさむいあさを今日プレゼントしました。他にも冬用のズボン6着、クラッカーで音のなるものは自宅でやってしまい(弟はアパート暮らしで音に気を払っています)、そしてクラッカー類がかわいいクマの箱に入って送られてきました。

わたしの両親からは、ディズニーのリスのキャラクター「チップ&デール」の着ぐるみパジャマです。チップデールが大好きな息子は大喜びです。

夫とわたしからは、チップ&デールの2本組DVDと、ポケモンワークブックといって、ポケモンカードを使って文字や数字を学習につなげられるという本です。ポケモンなどのカードが大好き(ポケモンのテレビなんかはみたこともないのですが)なもので、どうしても欲しいというので以前カードをヤフオクで購入して持たせたら
すっかり気に入っていたので、どうせなら少しカードで学習できればいいのではと思ったからです。わたしなんかは特に一生懸命文字や数字を覚えさせようなどとは思っておらず、むしろ小学生になってからでもいいとしか考えていないのですが、本人が自然に一生懸命文字などを覚え始めていて、ひらがななども教えないのに勝手に覚えたので、遊びを学習につなげるという、方法的なものとしてもいいかと思ったのです。
夫は、キャラクターばっかりで何とかならないの?と、キャラクターに対してやや否定的ですが、好きなものは好きなのだから、それでいいじゃないかと思っています。

父のお見舞いの時間は16時ころから1時間程度にしました。
この日は朝から函館にある「函館公園子どもの国」というところへ、朝から遊ばせるために出かけました。
朝10時に開園するというので、9時ころに近くの神社をお参りしてからと思い、参拝して9時30頃に園につくと、動物もそこそこいるのに入場は自由みたいでゆっくり動物を見ながらゆるやかな坂道を登るような形で遊園地のほうへと行きました。
到着すると、まだ開園準備中。しかも開園は11時とありました。
しかたなく園内をさらに散策。博物館があったので、土偶などを見て、さらに時間を潰しました。

開園すると、ほぼ独占状態で乗り物に乗りました。
本当に小さい遊園地ですが、5才くらいの子どもを遊ばせるのには本当に丁度よく、半端に大きな遊園地よりもずっと面白かったです。
小型のバイキングに乗ったときも、途中で怖がるとすぐに停止してくれて、チケットも返してくれました。驚くべき良心さです。本当に小さい子を楽しませてあげよう、という感じがよく伝わってきます。
それから、乗り物の多くは、係員の方が専属ではなく、2箇所ほどを担当していて、お客がいるときに走っていって対応します。

そんな中でお気に入りで2回やったのは、空気砲でボールを飛ばし、的である風船に当ったらスタンプをGETでき、さらに割れたら風船がもらえるというものと、対でかえる釣りゲームというのがあってこちらはかえるを2分間で8匹つるとゲームクリアでスタンプがもらえ、両方のスタンプをGETしたら、売店でくじをして、プレゼントがもらえるというものでした。
回数券8枚あったうち、こちらのゲームを2回やったので4枚使うこととなり、半分はこの遊びをしていたことになります。
くじでもらえたものは、どちらもはずれで、何故か東日本フェリーの記念硬貨です。よく観光用に500円で販売しているタイプのコインですが、入手困難かもしれません。ただ、ヤフオクで売ろうとしても残念ながら高くは売れないようです。

意外に普通の動物園にいないような珍しい鳥なんかもいました。キンケイとギンケイという、派手な孔雀風の鳥もいました。
日本最古の観覧車なんかもありました。怜はご機嫌で乗っていました。

とってもレトロな遊園地で、大満足だったようです。

お昼は、函館病院の裏にある総合ショッピング街にある、ひな野という、自然食中心のバイキングです。大人一人1500円程度で、おいしく旬の素材をいただけます。小学生から料金がかかるようで、年齢確認をした際に、ついつい4才ですと言ってしまい、今日誕生日を迎えたばかりで5才でしたと訂正しました。普段は千歳なので、情報誌の割引券はもらえないことなどを話していると、サービスとして情報誌の割引券をくれました。店長さんのご好意でした。

そしておなかもいっぱい、弟宅へと向かいました。
着いたのは14時20分ころ、今度は病室に入れない怜と子守の夫を家において、母と父の病院へと向かいました。
家に居ては退屈してしまうというので、夜にパーティーのときに渡す予定だった、チップ&デールのDVDと、ポケモンのワークブックをプレゼントしました。

さて、ICUの病室へ着くと、父は既に起きていてベッドも起こしていました。
声を聴く限りでは昨日よりもよく声はでるようになったように思えますし、顔つきもしっかりしているように見えました。熱は、今日は37度8で、昨日は38度2あって解熱剤を使ったけれども、それ以降は使っていないと看護士さんが言いました。それでも、昨日と調子は大した変わりないといいます。
今日の担当は、入院してから初めての男性の看護士さんだったということです。割と細かく説明してくれるので助かりました。
今まで水のような軟便で、病院の売店専売のちょっと高価な軟便パッドというものを購入してこなくてはならなかったのですが、今日は若干固まってきたので、今まで使っていたものを使って様子をみている、今後はこちらで大丈夫という見通しとのことでした。
熱は、上がったり下がったりなので、現状若干下がっているけれど昨日も夜上がったので、もしかしたら今日も夜あがるかもしれないということでした。
相変わらず、ベッドの横には、管つきの袋がぶら下がっていて、どす黒いというか茶褐色な液がたまっていく袋や、黄色い液がたまっていく袋がついています。黒い液が抜け切ると、もう少し楽になれるのかもしれません。
今日は、朝岡先生がきて、管の消毒をしていったそうです。
昨日持ってきた写真は見ないというので、小さいテーブルなので持ち帰りました。古い新聞も整理して、新しいものを置いていきます。オムツ類も、置いていくのはもう3日に1回程度は必要です。

今日は、日中怜の誕生日で、遊園地にお出かけしたことを話しました。
神社で、父の健康を祈って、健康お守りを買ってきたのに、なんか忘れていると思いつつも、なんだか話すタイミングを取られて忘れてしまいました。明日渡します。
足の裏に、アロエを貼ってみました。靴下でつつもうとしたら、暑いというので、粘着テープを使いました。
時計はどうかと聞けば、やはり相変わらずおかしいといいます。時間がたつのが遅く感じているようです。
疲れたから寝るといって、おそらく15分ていど病室で何かかにかして面会が終わりました。

看護士さんの話でも、積極的に自分からベッドを起こしていようとするので、リハビリも早く進んでいいと言います。
やる気がとてもあるみたいです。
弟が以前病室に行ったときも、向いのベッドについているバンドを見て、「あれを伸ばして腕を鍛えなきゃ」と言ったそうです。

弟宅へ帰宅後、何やら今までよりつっけんどんな感じが気になって聞いたのですが、入院してからはずっとそんな感じだといいます。きっとやはり話をするにも、やっとだから、手短に発言しているために、そんな印象をうけるのではないかということが、みんなの一致した意見となりました。

明日もまた行く予定です。
明日は月曜日なので、午前中は混み合うし、検査の結果も午後にでるので、午後から病院へ出かけることにしました。
わたしは風邪を引きやすいので、病院へ入ったらマスクにティーツリーオイルをたっぷり塗っていき、ICUは菌が少ないので外してという感じで過ごしています。
このまま風邪など引かなければいいのですが。

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2週間ぶりの面会  11月19日

19日、この日から23日まで夫も仕事が休みのため、千歳の自宅から函館へと向かいました。

途中、わたしの実家を経由していき、必要なものをそろえたり、函館から一旦戻った母がお店の残務処理をしていたり、それから前回家を開けるときに時間がたりずに処理しきれなかった冷蔵庫と食品庫の整理をわたしが母が店の関係のことをしている間に行いました。
夫と息子怜は、昼食のそばを実家でとってから、一足先に函館へと出かけて、船を見に行きました。

結局母がお店の仕事を終えたのは14時を過ぎていて、それからお昼ごはんを摂りました。
お陰で時間はたっぷりあったので、冷蔵庫の残り物も、食品庫のものも、期限が切れそうなものを全部まとめて、また、処分するものも燃えるゴミへとまとめることができました。
冷蔵庫の汚れたプレートを洗う時間もあって、よかったです。

そして、母の車をわたしが運転して函館の病院へと向かいました。
夫と息子は先に函館へ行っているものの、小さい子はICUへ入れないので、彼らは後にわたしの弟の家へと直行することとしました。

病室へと入ると、父は話に聞いていた通りガラス張りの4人部屋にいました。
わたしが会えないでいた2週間の間に、2回ほど場所を移っていますが、わたしが以前みた場所よりもはるかに看護婦さんたちがたくさん近くにいる場所です。

父は、行くとたいてい目を閉じていますが、話しかけると目を覚ましました。
以前あったときには血の毛が引いて青白い顔をしていましたが、今はいつものような赤みがかった顔をしています。白髪が若干増えたようです。65歳には見えないような若くしか見えなかったのですが、だいぶ体にも負担がかかったのでしょう。それでもまだまだ若く見えますが。
脚がすっかりやせてしまったこと、思うように力が入らず、ベッドを起こすと、4日前は頭がグラングランしていたとか、体力的に自信をすっかりなくして落ち込んでいたようなので、「今はICUだから体力が落ちて動けなくても大丈夫。これから一般病棟に移ってからもっと長い間入院生活が続くから、その間に元通りの力が戻ってくるから安心して。大抵の人は、退院後ほとんど普通の生活に戻れるし、大体半年で退院できるみたいだよ」というと、「半年?いや、もっとかかる。」と言います。
ICUにもあと2ヶ月とかいなきゃないんじゃないかというので、わたしは「ICUには早くてあと2週間程度、どんなに遅くてもあと1ヶ月程度だわ。あと2ヶ月居なきゃないような人は、今の時点で意識もあまり無くてまだ生死の境目にいるような、父よりもっと重病な人だよ」と言いました。
それでも、なんでも不安な様子です。

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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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