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お見舞い

安穏とした実家ライフ。普段であれば、子どものことばかりで、他に目の向くものもないのだけれど、ゆとりがあればあれこれとまた目が向いてくるのです。

そういえば、1年ほど入院している知人、というか友人というか、彼女はどうしただろうと気になりました。

前の職場のお客さんだった彼女は、精神的にも肉体的にも病を患っており、わたしの同級生で農家のひとと結婚していたけれど、1~2年ほど前に離婚して、神戸の恋人のところへと旅立ったにも関わらず、体の病状がひどくなり、実家の近くで療養することとなったのでした。

どうしてでしょう、わたしは彼女と友人として付き合ってきたつもりはなかったのですが、職場にいたときも課長から彼女の担当役のような扱いを受け、彼女に妙になつかれていたし、彼女の個人的なさまざまな相談に乗ってきているわけです。「初めて会ったとき私のことどんな風に思った?」と聞かれたとき「またひとり、変なやつが来たと思ったよ」と答えたわたしですが、「ショック!」と言いつつもわたしのことを嫌う様子もないのも面白いものです。ということで、知人として分類していたのですが、かれこれ付き合いも5年ほどになるし、彼女の人生の大きな決断事項に随分と相談役を買っていたようなきがするので、友達として考えたほうがよいのかもしれません。仕事での関わりがなくなったということも、わたしにとっては大変な気楽さをもたらすものでもありますし。

病院にまだ入院しているだろうか?と思いながら出かけてみると、やはりまだいました。本当は、この正月で退院できるという見通しが立っていたのに、検査の結果、今朝また新しい腫瘍が見つかって退院できなくなってしまったのです。今度は夏ごろになってしまうのではないかといいます。

実は、わたしが彼女のところを訪問した一番の目的は、わたしの通院する病院の先生が「クローン病でも治せる」と言ったからです。彼女は国から特定疾患と認定されている難病のクローン病のため、腸の疾患に15歳のころから悩まされ続けているのです。彼女も、当然のことながらさまざまな先生のところを渡り歩いています。それを承知の上で彼女を他人であるわたしがとやかく言って、病院を紹介するということは、少し難儀なことではあります。わたしは「誰よりもあなたが一番一生懸命病気を治そうといろいろな試みをしていることは分かっているつもり。だから、その苦労を知らないわたしが試してみてとすすめてもなかなかその気になれないのもよく分かる。けれども、わたしにしてみるとあの先生はうちの夫婦の病気を治せたということでわたしは信頼しているし、先生自身がクローンでも治せるといったから、試す価値はあるかと思って。」彼女は、以前わたしの勤め先の課長から同じ病院をすすめられていたのですが、何しろ課長のことが嫌いなので言うことを聞きませんでした。当時、わたしも課長から彼女を説得してくれないかと依頼を受けて話をしたことがありますが、当時はわたし自身、どんな先生か理解していなかったし、説得できませんでした。しかし今回は、退院したら行ってみるということを言ってくれたのです。

彼女と話することは、以前であれば、トラブルか悩みか精神病の症状を発症しているときの相手だったので、どちらかというと楽しいものではありませんでした。ところが人って、時間の経過で少し変わるものなのかもしれません。
彼女は、人の縁って面白いという話をしてくれました。以前は、彼女の夫は自分がやりたいことをできないのは全て彼女が悪いと思っていたけれど、実は自分のやる気次第の問題で、全部自分が悪かったんだということに気づいたということで、時間があるときには毎日のようにお見舞いに来てくれるのだそうです。一方、彼女の新しい彼氏であった神戸のひとは、たまにお見舞いに来てくれるものの、手術後で大変なときに一方的に彼女を責め立てるようなことをして症状を悪化させたり、彼女の私物を勝手にオークションで売ってしまったりと、信頼性に欠けるようなのです。今後の彼女の波乱な人生を、少し遠めに見ているのも悪くないかと感じました。それと、わたしも、人間関係をもう少し細く長くをたくさんもっていてもいいのではないかと、考えれるような気がして、彼女との会話はなかなか楽しいものでした。

1時間ほどして、彼女のお母さんがやってきました。「どうもおひさしぶりです。以前書道で一緒でしたよね」と言うと、にわかに戸惑ってしまったようです。「話好きなひとなのに、病院のなかばかりだと気がめいるかと思ってきたんです。では、またそのうちくるから元気でね。」と言い残し、わたしも、子どもを実家に預けてきているし、あまり長くは居れないので、病室を後にしました。タイミングも、丁度退院延期が決まってしまい、気が滅入っていたところだったようで、顔出しだけでも、気分や和らいだようで、本当にいいときに会えてよかったと思いました。

そんな彼女ですが、精神病として、脅迫神経潔癖症、境界性(ボーダーライン)人格障害の症状を有しています。職場でも、困ったお客さん扱いをされていた彼女です。何かと、これは汚いのではないか、手は汚いなどなど、たくさん言います。わたしは面白がって「わたしの手も汚いゾォ~!」などと言って追っかけてみたこともあります。「お風呂に一緒に入りたい、バイセクシャルだから」なんて言われて「気持ち悪い!!絶対に一緒に入らない!」と言ったりしていたこともあります。
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テーマ : 日記
ジャンル : 結婚・家庭生活

幼児の反抗期の対処法

3歳になる息子、怜は、生まれてから1歳7ヶ月を過ぎる頃まで、毎晩寝たとしても20~30回泣いておきる子どもでした。めったにいないけれど、ごくまれにこのようなタイプの子どもがいるらしいのです。

現在は、わたしも楽をできるようになり、毎日本当に楽しいものです。ほがらかで、ものを大事にする子で、乱暴はしない子で、絵本やお外遊びが大好きで何にでも興味を持ち家事手伝いも大好きです。そのため、周りのママ友たちからはうらやましがられることが多いくらいです。

わたしもなんて手のかからない子なのだろう、と思っていたのですが、よくよく考えてみると、わたしの言うことは実は全く聞かないのです。洋服を着る、歯磨きをする、お片づけをする、母の号令には反発し続けるのです。着替えのために裸になった日には、寒い部屋の中でも逃げ回り続け、いつまでも裸でいます。

ただ、わたしは、そのことであまりイライラした覚えもないので、どうしていたのか考えてみると、自然と「さぁ、くまちゃんの歯ブラシが、怜のお口をくちゅくちゅしたいなぁって言っているよ。」とか「おもちゃさんが、おうちに帰りたいって泣いていないかな?」などと言っていました。なぜか、わたし以外の言うことであれば聞く、ということなのです。

また、1歳を過ぎた頃であれば、台所の引き出し類に興味を持って、包丁のあるところでもあけてしまうものです。たいていのママの対策は、包丁をとどかないところにおいておくとか、赤ちゃんストッパーのようなものをつけて開けられないようにする、というものが主流のようです。
わたしは、どちらもしませんでした。
かわりに、開けてもいいところと、だめなところを決めて、包丁の扉を開けたときには、「危ないから別の扉にしようね」と言って、隣の扉を開けてあげます。中には、缶詰やカレーのルウなどが入っていますが、怜は自由に取り出して積み木のように重ねて遊んでいました。何度かそうしているうちに、包丁の扉を開けないようになるものです。
ただ、たいていのお母さんたちは子どもから目を離していると、扉をあけて大変なことになっているというので、寝てもさめてもべったりとお母さんについて歩くような子であれば、安心してそういう対応もできるのかもしれません。

テーマ : 実用・役に立つ話
ジャンル : 趣味・実用

料理のレシピの整理方法&情報の整理方法

ママ友にいつも感心されるのが、わたしの料理レシピの整理方法です。

みんなたいてい料理のレシピを切り抜きにしたりしているのだけど、整理しないままだといいます。もしくは、クリアファイルに入れるけどゴチャゴチャ、それとか毎回携帯のネットで検索するという方もいます。どれも、自分が気に入った料理をぱっと探しにくいというものです。毎回ネットで検索するのも、そのうちネットから削除されてしまう可能性もあったりするわけですから、やはり、手元にしっかりと取っておければ安心ではないかと思います。

わたしはA5のバインダーノートに、切抜きを貼るようにしています。一般的なB5サイズだと、大きすぎて、同じページにいろいろなレシピを貼りたくなってしまうので、1ページにつき1つのレシピを貼るようにします。こうすることによって、あとで枚数が増えたときに見出しなどをつけて整理しやすくしておくのです。
それと、料理のレシピとお菓子のレシピは一緒の紙の裏表に貼らずに、分けておきます。当然のことですが今後、枚数が増えてしまったときにどうするかを予め考えながら整理すると楽です。
それから、実際に作ってみて気に入ったものだけを貼るようにします。そうでないものは切り抜いても使わずに溜まっていって片付けられなくなってしまいますし、むやみに何でも貼ってしまうとノート自体に愛着がわかずにいずれ見にくいノートになってしまいます。実はクリアファイルを使っている人の落とし穴は、なんでもいれておいてしまうという、この点にあるのです。
コピー機が自宅にある方は大いに縮小なども活用して、1ページに収めるようにするのが良いでしょう。
スーパーなどで無料でおいてあるレシピ本は、2冊いただくことにしましょう。こうすると、後にも良いレシピが載っていたときに、両方切り抜いてノートに貼ることができるからです。


もともとわたしのレシピノートは、わたしのプライベートノート1冊のうちの一項目として一緒のノートにひとまとめにしていましたが、量が増えやすいのでレシピはレシピだけにした方がいいです。

ちなみに、わたしのプライベートノートにはどんなことをまとめているかと言うと、
① 読書した本のタイトル(図書館で大量に借りてくるので、また読みたいときに調べるのに便利だから)、読書して  面白かった名言など
② 育児のヒント(読書などによって知った面白いこと)
③ 生活の知恵(便利なお店や気になるお店、物など、生活に役立ちそうな情報のメモ)
④ 重要事項のメモ(パスワード、加入保険など万が一わたしに何かあっても夫や子どもが困らないように)

これはわたしが結婚した当時、3年以上前になりますが、そのころからずっと続けています。読書なども漠然と読んでいるだけでは、記憶に余り残らないし、書いておくことによりどんなことに興味が向いていたのかという足跡がたどれるのも面白いものです。

ママ友に、「まめだねぇ~!!」といわれるもう一つが、DVDの整理です。ファイルに見出しや表紙をつけて整理しています。そんなところは、元来そういう性格ではなかったので、自分でも事務職をやっていて良かった、なんて思ったりしています。

テーマ : 実用・役に立つ話
ジャンル : 趣味・実用

簡単、ごぼうの皮むき

ちまたで最近話題の、ごぼうなどの皮むきが簡単にできる手袋というものがあります。

しかし、みかんなどが入っているオレンジ色のネット、あれを手袋のようにはめてゴシゴシこすると、簡単に皮むきができます。

使用後は、食洗器に入れて洗って、フックに引っ掛けておいてます。

テーマ : 実用・役に立つ話
ジャンル : 趣味・実用

3歳のクリスマス

待ちに待ったクリスマス。
我が家の3歳になった息子、怜は、少なくともこの日を2ヶ月は楽しみにしていました。

と、いうのも、おねだりをしてもすぐに買ったりすることがまずないので、どうしても「じぁあ、クリスマスにサンタさんに持ってきてもらおうね」と言って、息子にどうしても欲しいものだけを与えるようにしているからです。

今回は、ビー玉積み木転がしにしました。怜は、カラコロツリーが欲しいと言ったのですが、これではただビー玉を転がすだけなので、自分でいろいろ組み合わせて上手くビー玉を転がせるかどうか試せるもののほうがよいと思ったからです。

それから、去年はわたしの手作りでNHK英語であそぼに出てくるキャラクターの、ケボとモッチの人形を作ったのですが、サンタさんが持ってきたということにしてあるので、「ママが作ったんだよ♪」と言えないのがつらいので、クリスマスプレゼントは手作りしないことにしました。その代わりというほどでもないのですが、11月20日のお誕生日は、出来る限り手作りしていきたいなと思っています。今回は幼稚園カバンをつくりました。

今年のクリスマスイブは実家で過ごしたので、大きなケーキを作りました。ただ、材料の買出しに前日いけなかったので、イブ当日17時に帰宅してから大急ぎで作りました。手馴れたものなので、明日でいいよというみんなの心配には全くおよびませんでして、ご飯を食べる時間をはさんでも19時を迎える前には全て完成していました。
日中は何をしていたかというと、わたしが以前の仕事で担当していた会のメンバーで温泉宿のおかみさんがいるので、そこに家族で出かけていました。おかみさんは男性用の風呂に露天風呂と大きなお風呂があるので一緒に入っていいよとすすめてくれたので、一緒に入りました。人里離れているので、特に冬はあまり人も来ないのです。ただ、急に来客あって危機一髪でしたが。以前勤めていた頃に、自転車でそこまで出かけたことがあり、そのときなどは入浴料を受け取ってくださらなかったので、今回はちょっとしたお土産を持っていったのですが、またまた鹿肉のスモークなんかをいただいてしまって、すっかり良くしてもらってしまいました。


そうして、クリスマスイブの夜、なかなか眠れない怜はわたしに言いました。
「サンタさん、プレゼント持ってこないんじゃないかと思って眠れない」
「どうして?怜は悪い子なのかい?そんなことないよね。」
「悪い子じゃない。」
「じゃあ、どうして?ちゃんと来てくれると思うけどなぁ??」
「もしかしたら、サンタさん、間違ってビー玉ころころ他のお友達にあげちゃうんじゃない?!」
「そうかい?それは、あわてんぼうのサンタさんだね。怜のところに来るのはあわてんぼうのサンタさんだと思うのかい?」
「うん。」
「きっと大丈夫じゃないかな?あまり心配しすぎず、サンタさんを信じることも大事だよ。そうなってしまったら、そうなってから考えたりしてもいいんじゃないかな?今、怜が考えても、サンタさんが間違うかどうかなんて分かる話ではないし、誰にでも間違いはあるしね。サンタさんがもし間違ってしまったら、ママが作ってあげてもいいよ。」
そんな会話をして眠るのでした。
しかし、この考えの発展性というか、心配性なところは、いつ、どのように身につけたのか、はたまた元々そういう性質なのか、よく分かりませんが、用心深いのはいいけれど、あまり今から度が強すぎると大きくなってからやりにくい性格なのではないかと、少し心配になりました。

そして翌朝、クリスマスプレゼントを枕元に発見した怜。大喜びで飛び起きて、開けて、開けてと、先に起きていたおばあちゃんのところに駆けていきます。開けてみて、安心した様子で、そして飛び切りうれしそうに「あっ!!!ビー玉ころころだぁっ!!!」とはしゃいでいました。そして、加えてこのように言いました。「ママがパソコンのお店で買って、サンタさんが届けてくれたんだよ。」
おばあちゃんはあわてて「そんなことないんじゃない!?」と、言いましたが、どうでしょう。よく分かっている子だなぁ~と、わたしは感心せざるを得ませんでした。

だけども、「そんなことないんじゃない!?」の、おばあちゃんの一言で、怜の気持ちはサンタさんに傾いてくれたのではないかと思います。また、そうであって欲しいと願ってしまうのですが、それは余りにも子どもを子どもらしくあって欲しいと思う願望かもしれません。それと同時に、わたしもまた一緒に夢をみているのかとも感じます。
子育てをしていると、子どもからたくさんの贈り物をもらうといいますが、こういう風に夢みさせてくれたりすることなのかと最近よく思うのです。

テーマ : 育児日記
ジャンル : 育児

人を呪うひと

わたしの古くからの友人に、実質上離婚している女性がいます。
彼女は、自ら旦那と子どもを置いて実家へと戻って、自分の周辺が落ち着いたら子どもを引き取りに行こうと考えていたのですが、子どもを引き取ろうとしたときには旦那さんの実家により阻止されてしまい、現在は自分のお姉さん夫婦と生活をともにしています。

そんな彼女から、あるときメールが届きました。
「元旦那の両親が憎い、呪い殺すことにした」
なんと、過激な発言でしょう。わたしは驚きおののきましたが、なるべく冷静に彼女へ返信しました。
「そうなんだ。で、いつまでに殺せるの?」
「夏までには。以前勤めていた飲み屋の嫌な客を呪い殺したことがあるから、できるよ。」
「そりゃすごい。実現できたときには是非教えてちょうだい。だけど、本当にそれでいいの?ご両親が死ねば本当に全て解決する?あなたは満足?わたしの知り合いに、憎い人の子どもを呪い殺したと思い込んで人がいて、今でも病院に入院しているけど・・・結局、病気になるのってその人自身の気の持ち方、あり方が大いに関係するものだし、そういうことを考えていること自体、知らないうちに自分が病んでいくのだと思うけど?」現に彼女はうつ病とナルコレプシーを併発している。
「やっぱり止めた方がいいかな?」
「あなたの辛さが分からないわけじゃないよ。そうすることで本当に自分が納得できるなら、大いにやればいいと思う。だけど、結局人を呪うことで誰が一番苦しむかといったら、自分自身じゃないかな。仮に実現したとして、気分が良いこと?彼女と同じく、入院は覚悟したほうがいいかもしれないよ?もともとあなたは悪いやつじゃなとわたしは信じているし、現状に負けないでがんばって欲しいものだけれど。」
「やっぱりやめることにする。ありがとう」

こんなメールのやり取りをしました。
彼女とは小学生の頃からの付き合いで、ことあるごとに、そう、高校生のときでもケンカをよくしてきた仲です。
思い込みの激しさは天下一品と思いながらも、どこか憎めないひとで、今では会うたびに暗い話ばかりしかしないのだけれど見守っていたいと思えるようなひとなのですが、さすがに呪い殺したいという話を聞いたときにはショックでした。
悲しみと怒りをもてあましているというがよくわかる。
それに、どうしようもなく孤独なんだということが。
だから、せめて少しだけでも心に光がさせばとは思うのだけれど、彼女は頑なに過去にとらわわれつづけてしまうのです。
もう自分の幸せを考えて旦那と子どもとの関係は少し手放して考えるようにしたらと言っても、男の人と関係を持つのも旦那一人だけでいい、子どももひとりだけでいいと言って、執着してしまうのです。現代日本人女性としては彼女自身の母を反面教師にしていると言っているだけのことがあり、随分と硬派なのですが、自分から家を出て行ってしまい、相手の気持ちも離れてしまったことなので、もうどうしようもないことのはずなのです。

わたしは、どういう宿命か、精神を病む人々に出会う機会が非常に多かったので思うのですが、うつ病は風邪のようなもので誰でもなる可能性があるとは聞くものの、精神病にかかる人のほとんどが、「とらわれ」の念が非常に強いと感じています。それは、他人を犠牲にしてでもどうしてもその「とらわれ」を実現したいと思うようなものであったり、周りもしくは自分が悪いと責め続けるものであったり、さまざまではありますが、簡単に一言でいうと「とらわれ」という言葉がぴったりなのです。

こんなに周囲に精神を病む人が多いので、わたし自身も人事ではないと感じています。実際、わたしも紙一重と自分で思う節があります。
実際わたしも「とらわれ」やすいほうなのです。そんなわたしが、「とらわれ」の状況を変える方法を提案します。
例えば、ここに記したわたしの古くからの友人のような状況に対してのアドバイスは、人のことを心から怨んだときには、その人を許すことです。最初は、ずいぶんと上から目線だと思いますが「あなたのせいで私はひどい目にあった。だけど私は寛大だから許してあげる」といったようなものでもかまわないのです。人間なので、人のことを許すといってもどうしても許せないような難しいこともあるかもしれないですが、この程度の考え方なら、欺瞞的ではありますが自分に負担少なく思うことができるものです。次に、時間をかけて、その暗い出来事を、愛を持って祝福し、手放していくと心に決めるのです。それは、自分の周りに空間をつくることなのです。そして、心はまだ穏やかにならずとも、表面的だけでもじっくりと相手と向き合う努力をするのです。場合によっては直接本人とかかわらなくてもいいし、本人と友人関係を築くのもよいです。そうして時間が経っていくと、決して相手だけが悪かったわけではないことも理解できるようになってきたり、はたまた、相手は非常に人間としてかわいそうなならず者であるということに気付いたりもするわけです。これが怨念に目を曇らせていると、いつまでたっても自分は牢屋の中から出られないのです。うまくいけば、そんな相手とも欺瞞は多少あるかもしれませんが、深くはなくとも友人関係を築くことができますし、何より、自分の心の窓に風を取り入れることができるのです。わたしにはそんな関係の相手が2人ほどいます。
時には経験的に人間は自分に不利益ばかりもたらす信用できない存在だと学んでいったり、生きていることに希望を失うこともあるとは思います。しかし、そう強く感じてしまうということは、本当に信頼しあったり愛し合える本物の関係を人一倍望んでいるということ。だからこそ、いつまでも心を痛めていていて自分ばかりを傷つけていないで、望む場所にたどり着けるようにしなければならないのです。傷ついた自分を素直に受け入れて、とらわれの思念を開放し、あらたな生活の基盤作りに取り組むことができれば、また実りのある日々がやってくるものです。病気とは、とらわれそのものを具現化したようなものです。
体の病気の多くは特定の食べ物の食べすぎからなります。同じく心の病気の多くは特定のとらわれの感情が多すぎてなるのです。



季節は過ぎて、もう冬です。そのことに関する報告は彼女から入らないので、だいじには至らなかったようで、なによりではあります。

呪いたくなってしまうほど辛いという気持ちも、簡単に自分の気持ちの持ち方をかえるというわけにもいかないことも良く分かるので、思いとどまってくれたということだけで、まずは良かったと思っています。なので、あえてこのことを直接本人に言ったりはしていないけれども、彼女には早く、部屋に、家に、人間関係に新鮮な空気を入れるとおもしろいことが起こるということに気づくこと、また、もしこのブログを読んでくれていたら、怒らずに読んでくれていることを期待しています。

彼女とは、今実家に来ている間に一度会う予定ではいるけれど、そのときどういう風に関わり合いを持とうかと、わたしはいつも真剣に考えているし、助けを求められる限りは、自分のできる範囲のことはしてあげたいと思っているのです。

テーマ : 出来事
ジャンル : 結婚・家庭生活

孤独であることの条件

孤独であること、孤独な人、ニュースなどでは老人の孤独死などが報じられ、そのように独りであることがあたかも悪いことのように言われたりもしていますが、わたしの身の回りには孤独をこよなく愛するひとたちも少なくはないのです。そんな彼らだって、完全にひとりではないし、結婚しているひともいる。むしろ結婚することにより、そのほかの社会的な関わりから積極的に孤立しようと試みているひともいるほどです。孤独を好む人にとって独身を貫くことは、余りにも無益な戦いがおおいため、社会からの隔絶された安全地帯という意味でも、孤独を好む人ほど案外結婚生活にメリットがあったりもするものです。

わたしは一人でいることも平気なほうだし、中・高校生のときの5年ほどはほんとうに誰ともかかわりたくないと本気で思っていて、現在交友関係がある中学時代からの友人ですら、そのときは話もしなかったほどです。今後人と関わらないように生きていくためにはどうすればいいかと真剣に人生設計を考えていたこともあるほどですが、高校生活も終わりになる頃には少し方向転換し始めました。

さて、孤独の条件とは、どういうものでしょう。次の2点はいかがでしょう。

1、他人とうまくやっていけないこと。他人の一人ひとりが嫌いなわけではないが、他人と一緒にいても自由に心を開くことができず、楽しめない。そして、とにかくくたびれる。すぐに独りになりたいと思ってしまう。つまり「人嫌い」である。

2、自分が真に不幸であったこと、あるいは現在もそうであること。しかも、その不幸は社会を改良すれば、あるいは環境を変えれば解消してしまうような類の不幸ではなく、自身のうちに深く巣くっているような不幸であること。あえて言い切ってしまえば「自分が嫌い」であるという、不幸であること。



人間嫌いな人とは、自分が嫌いなのです。他人と一緒にいると、他人の虚栄心や傲慢や卑劣さ狡さもごまかしも全て見通せてしまうのです。それを見てしまうことが、いやでいやでたまらないのです。だけど、それにも増していやなのは、たえず警戒して、虚栄心に翻弄され、高慢で、しかも小心翼々としていて、ずるく陰険な自分なのです。こうして、他人と一緒にいたあとで、楽しいことはほとんどないのです。反省すべきことが山のようによみがえってきて冷や汗が出るのです。つまりは、自分を含めた人間が嫌いなのです。これは、ここまできてしまうともう仕方がないことなのです。人間の醜さがことごとく見えてしまうのは、それだけ敏感ということなのだから。そして、そうではない人間は鈍感なだけなのです。

一見、「自虐」とか「マゾヒズム」というものを感じさせるのかもしれませんが、そんなことではなく、自分が嫌いであるがゆえに好きであるという、パラドックスを含むマイナスのナルシスなのです。なぜかって、自分はどうしてこんなに苦しいのかと考えながらも、生きにくさの原因をこんしんの力を込めて探そうとするのですが、それは自分が幸福になるためでも、不幸から抜け出るためでもなく、「私自身」を確認しているたの作業を日々しているのであって、その際に人との関わりがあったとしてもそれは、たえずその作業を推進めるための手段にすぎず、究極に自分に関心が向いている状態、しかもマイナスの状態だかです。

こういった人は、自分を変えなくても構わないのです。ただ、社会的にはやりにくいし、排除されるものです。それを、当人たちは自覚しているので、自分から周りが嫌いだと自ら先手を打ったり(つまりは、孤独は自分が選択したのだと主張することにより、社会的排除に対する予防線を張る)、そう付き合いが苦にならない人で孤独を理解できる相手に対しては、自分にとって限りなく欺瞞的ではない方法でつかず離れずの関係保つという形で浅はかでも人間関係を保つこともあります。そして、それが出来ないひとたちは、社会から離れるのです。その上でも豊かに生きられる道は、探すこともできるはずなのだから。

孤独を磨き上げていくということは、「死」だけが見えるようになるということです。それは、自分の不幸を徹底的に実感することなのです。しかし、もし孤独に死ぬことは恐ろしいと躊躇するようであれば、人々に囲まれて安心して死ぬほうがいい。案外、そういう人には孤独は似合わないものだったりもするのです。



わたしは、幼稚園のころには「死」を意識して、自分が死ぬことや母親が死んでしまうことがいつかはおとずれるということが、怖くて「死」のことについて考えて毎晩泣いて泣いて、いつまでも眠れませんでした。その頃からなのでしょうか、わたしが基本的に寝つきが悪いのは。

高校生活の後半には、天文同好会に入っていました。受験があるからと普通は3年生のときには部活動などしていないものですが、お気楽な会であったし、人数がすくないということもあって、結構居座っていた覚えがあります。昼間の学校は人が多すぎて嫌いだけれど、夜の校舎は好きでした。親には、夜ふらふらと出て歩いて!と叱られましたが、これが職務なので公然と出て行きます。なんと不埒な娘でしょう。しかし、何も後ろめたいことではないのですから。星座なんかはさっぱり覚えないたちでしたが、夜空を眺めていると、不思議と「死」への不安がやわらぐのです。あぁ、いつかはみんな宇宙へ帰っていくのだと。いつかは地球だって太陽に飲み込まれてしまうのに、宇宙は人間という生き物を作って何を実験しているのかなと考えるのです。望遠鏡で見た土星は美しかった。単純に何かを美しいと感じられる瞬間というのが、まだ自分に残されていたということがまた愛おしかったのです。

結婚したのも、一応幸せののちに結婚しているつもりです。しかしわたしは思うのです。よく彼はわたしみたいな難しいタイプを相手にしてくれているものだと。事実、激しくケンカすることなどはしませんが、わたしは言葉や行動の節々を捕まえて、真意を確認せずにはいられないという、どうしようもない癖があります。そのことが彼を怒らせることは、だいたい想像がついているのですが、どうしても確認しておかないと、不安でしかたないのです。これでも、結婚してからというもの、わたしの情緒は安定しているし、夫にそういうことをすることも滅多になくなりました。基本的にはしあわせと思える生活をしているのです。



孤独を愛する人たちは、わたしの周りに多くいます。わたしは、今では独りはさびしいと思えるようになったものの、わたし自身が孤独を愛するので、男女問わずにこのような友人たちが大好きです。本当の孤独を確立するためにも、孤独を愛する人たちは極めて身近な存在で、確かなものであるからかもしれません。ただ、時々ひどくつらく感じることがあります。彼らとの付き合いは、わたしの全てを見通されていたり、ときには極端にはっきりと誤解もされるものだったり、理解は出来てもなかなか納得できないものだったりするからです。「こいつはそういうやつだ」という決めつけが前提にある場合には特に、彼らの目には、どんなことよりもそれが真実であり、根拠となりそうなものを引っ張ってきては自分の正当性を主張するためだけの材料としてしまうからです。彼らの多くは、自分の判断力に揺るぎない自信を持っているひとが多いのも、その一因を買っています。


それでもわたしが、彼らのようなひとたちとの付き合いが好きなのは、彼らが本物を求めている、ということに尽きるかもしれません。お金は裏切らないというあえて単純で簡単で当たり前のことを言い放つことの裏に潜むどうしようもないほどに憧れている本物の愛、社会に出たら人を信用するなとわざわざわたしに教えてくれた元バイト先の社長の真意、世の中金が全てといい続けてやまなかった美人のお金持ちじゃない中年男性との結婚、自分はずるいと宣言してしまうことが本当にずるいということに気づいていながらそうしている人、10日間ご飯を食べれないときにおごってもらっていた人たちとの関係も昔の友達との関係もほぼ全員あっさり切ってしまったと言い切るけれど周囲からの人気は高かったりするひと、彼らの孤独さ、さびしくないと言いながら心に言いようのないものを秘めていること、もちろん彼らの何もかもがわかりきれるわけではないし、相手はどう思っているか知りませんが、わたしにとっては彼らとの付き合いは最も楽しいしやめられない付き合いのひとつなのです。それはまた、彼らを通じて、わたしの中にあるものを一つ一つ確認しているということなのかもしれません。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 結婚・家庭生活

こわいひと

わたしには二人の弟がいます。一人は年子、もう一人は5歳下です。
彼らの性格はいたって地味、まじめといったところで、お金遣いに関してもしっかりしています。家族なので気がつきませんでしたが、わたしの友達には弟二人ともかっこいいねと言われるし、性格も温厚で、特に下の弟などは女の子にも人気のようです。っと、弟自慢はほどほどにしておきます。

ところが、彼らは驚くほどに女性運がないようです。わたしも、男性運がなかった節が多々あるので人のことをいえないのですが、とは言えども、今の夫に関してはそんなことはないので、幸運なほうかと思います。

しかし、年子の弟といったら、実家に帰って話を聞く限り、不幸で不運としかいいようがない。タイトルにもある「こわいひと」は、その弟が初めて付き合った女性のことです。この程度の「こわいひと」は、ちまたでニュースを騒がせている輩に比べればまだまだ軽いほうだと思いますし、わたしの身近にはいない、というか関わらないけれど、結構ありふれているようにも思います。最近、やっと見切りをつけられたようですが、そこに至るまでについやした時間、およそ6年です。

わたしも、実家に住んでいた頃、彼女が家に来たので会ったことがあります。もの凄い美人なのです!!本人いわく、映画のコマーシャルにも出演したことがあるのだそうな。そして、わたしの4歳年上。物腰やわらかで人当たりもよく一見完璧そうな彼女なのですが、わたしは彼女とちょっと話をしたとたんに、というか、彼女と会ったとたんにというくらいすぐに、寒気のようなもの、直感的な悲鳴をあげました。
ふと我に返ってわたしは自分自身に、彼女が自分にない美しさを持っているから妬んでいるのではないかと問いただしてみましたが、そうではありませんでした。わたしはあまり積極的に人と仲良くしようとするほうではありませんが、激しく拒否することも、ここ何年かはありませんでしたが、何か人間的なものにおいて、彼女に対しては無理と、あっさり諦めました。

それからというもの、わたしが仕事から帰ってきたときに彼女が実家の茶の間に来ているときは、すぐにわたしは茶の間の隣の自室として使っていた客室(自分の本来の部屋は実家を一度出たときに物置にされてしまったので)へと、逃げ込むのでした。母には、「弟がかわいそうだから、付き合ってあげなさい」といわれましたが、わたしは「あの人と一緒にいるとむしずが走る。仕事で疲れすぎているから自分で機嫌の悪さを表面上だけでも上手く取り繕うこともできない。だから、同席するとなれば思いっきり不機嫌にしてしまう。その方がよっぽど可愛そうだし、わたしも無駄に疲れるわけにはいかないので部屋にいくよ。」と伝えました。

実は、彼女にあってからすぐ、母には「彼女は精神病だと思う」と、はっきりと伝えておきました。「うつ病とかではない、ちょっと何かはわからないけれども精神病の一種だと思う」と。しかし、わたしが彼女を苦手に感じるのは、単に彼女が精神病だからではない、ということも。その後、弟が、ほとんど毎週、彼の定休日である火曜日に、彼女を連れて苫小牧まで言っていると聞いたときには、やはり私は母に、「苫小牧の精神病院に彼女を連れて行っているのではないかと思う」と、伝えておきました。その半年後、彼らは正直に我が両親にうちあけました。彼女は精神病であることを。母は驚いて、「どうしてわかったの!?」と、わたしにたずねてきましたが、「本人が知らずにそういう空気を発しているのを、わたしは感じてしまう」としか言いようがないのです。当時勤めていたところで、たくさんの精神を病んでいるお客さんたちと付き合わなければならなかったということにより、元からあったその感覚が研ぎ澄まされてしまった気はしますが。

一度、弟と話し合ったこともあります。当時弟はわたしが彼女にたいして下した判断や、母が自分で下した一般的な見解により、反対しているけれど、どうすればいいものかという相談をされたのです。わたしは、自分で納得できる結果をつかまずに他人にとやかく言われて思うように進めないことほど、後味の悪いものはないことを伝えました。ただし、わたしも、彼女に関してはご存知のように快く思えないみたいで、弟自身が傷つかなければいいと願っているが、まったくの白か、そうでなければとんでもないジョーカーに思えて仕方ないということも伝えました。私が絶対ただしとは言い切らないけれど、限りなく黒いということも。だから、後悔しないような付き合い方ができればいいのではないかと、たとえ騙されたとしても、つまりはぶっちゃけ2番目でもいいと思えるのなら、そこまで彼女のことが好きならば付き合い続ければいいのではないかと。自分が納得できる範囲の付き合い方をしてほしいと伝えました。そんなに自分の気持ちがうまくさばけるのであれば、人生苦労も苦悩もしないんだろうけれどもね。だいたい、こうやってえらそうにアドバイスしているわたしだって、気持ちや思考回路がぐちゃぐちゃに絡まったりしていることなんか、しょっちゅうなのだから。

実家関係の親戚には、うつ病をはじめとする何人かの精神病者がいます。その中の一人、母の姉にあたる人の娘はうつ病で、たまに発症するらしいのですが、普段はたいして通院もせずに済んでいるのだそうな。そのお姉さんが、「たまに発症するだけでも大変なのに、毎週精神科に通うなんて、よっぽどの重症だから関わらないほうがいい」と言ったのだそうで、母の不安はいっそうに膨れ上がり、何が何でも辞めさせたいからわたしからも強く言ってほしいということを言われた。わたしは、つい弟にそのようにアドバイスした手前もあるし、母の弟を心配する気持ちもよくわかるし、なんだか板ばさみ状態となってしまった。

まぁまぁ、と母をなだめ、長い人生、せっかく人のことを好きになれる機会があったのだから、それをむげに取り上げてしまっては、たとえ息子のことを思ってやったとしても、怨まれるだけだよ、と。それで生活に張り合いが出るのなら、それもまた良しというものでは?ほんとうにジョーカーな相手なら、いつかはしっぽを出すから、もう少し自分の息子を信頼して、見守ってあげるということも、必要なのでは?そもそも、そこで周りの言うことを聞かせたところで、自分に対する無力感が膨れて単なるだめ人間になるだろうし。
けれど母は言う「初めての相手なのに騙されたら傷か大きい。結婚できなくなるのでは?」ごもっとも。しかし、運が悪くおかしな人に捕まってしまうのも、それも今までにすごしてきた人生の、ある種の付けのようなものなのです。あえていうのなら、何が悪かったから、ということではなく、その人生において、そういうことを体験するようなステージになってしまったのだという感じでしょうか。わたしだって、弟に単に痛い目見させたいわけではないし、おそらく騙されているし、そのときに収まりのつかない傷つき方だけはしないように付き合えるようにというアドバイスはしていると伝えました。母とは、このような話を何度かに渡ってしてきました。

また、やたらと結婚にこだわっているようなので、母に聞きました「結婚してよかったと思う?」わたしはその答えを知っているから。面白いことに返ってきた答えは「女の人は損だと思う」ということだった。要は、自分ばかり損していると感じているようだが、いずれにしろ、わたしの回答は変わらない「なら、なぜ自分が不幸と感じている結婚を、大事に思っている息子におし進めようということばかり考えるのか?もう少し、自由を与えてあげてもいいのでは?」
母はこうとも言う「お金遣いに関して、彼女ときたら派手だしそのくせケチだし、息子にはあわない」と。わたしは「金銭的感覚が似ていないと、その点では確かに苦労するだろうけれど、どんなに合いそうな人と結婚したのであっても、なくて七癖、必ずどうしても鼻につくところはでてくるだろうねぇ。」と、わたしは言うのです。結婚に関して何が重要かなんて、その人によって違うし、傍から見ればおかしくても、当人たちはそれが正しいと納得していたり、信じるという思い込みをして、良好な関係でいようとしたりしているものかと思います。ただ、確かにお金で破綻する結婚は余りにも多いものなので、しっかり見定めてはおかないといけないものかもしれないです。こんなことを昔聞いた覚えがあります。お金、異性、時間のどれかにだらしない人は、その全部にだらしない、と。

そして、ついに、破局を迎えたようです。
弟は、会社の独身寮にいたのですが、独身寮の年齢規定からはずれてしまい、いつの頃からか、彼女のいとこに当たるという男性の家に居候していたのです。ところが、彼女が来るたびに激しくケンカするようで、怪しいと感じていた弟は、そのいとこと言われている男性が酔っているときに、彼から真相を聞きだして、いとこではなく、付き合っている男だということを知ったのだそうです。彼女からは絶対に言わないでと口止めされていたそうですが、なんということでしょう!!その男性は、市役所職員で、彼女と結婚することは諦めていて、それでもいいからと車を買ってあげたりもしていたようです。車は誰かに貢がせていると踏んでいたわたしは、そのことを弟に伝えていましたが、相手は医者だと思っていたのは外れていましたが。それにしても、その市役所職員もよくうちの弟を同居させたと驚くばかりです。温厚な性格の弟をはさんで、彼女は彼との口論になるのを抑えてほしかったのではないかということですが・・・。事情発覚直後、ただちに弟は引っ越したようです。

弟と実際話をしてみて、てっきり薄々気づいているものかと思っていたのに、全然気づかなかったといいます。やっぱり恋って盲目なんだなぁ、なんて思いました。わたしなんかは、盲目な上に情緒不安定になるから、あまり好きすぎるのはよくないと体験してきたりもいます。できれば、苦い経験は避けたいものですが、どういうとろまでいくかは実際とことん進むのも悪くないかもしれないです。それに人間、自分に都合のよいことしか耳に入らないものです。あれだけアドバイスしていたけれども、やはり化けの皮がはがれないとわからない、というか、諦めがつかないのだから。

実は、1年ほどブランク期間もあったようです。今回は、どうやら復活はありえないようで、少しほっとしています。それにしても、初めて付き合った相手がこんなでは、今後が心配になってしまいます。

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ジャンル : 結婚・家庭生活

実家への道のり

12月21日、実家へと向かうために愛車プレオにたくさんの荷物と家族3人で出発しました。本日の目的地は、温泉ホテルのサンパレス。実家に帰る途中なので泊まっていくことにしていましたのです。
運転は、わたし。
出発直後は猛吹雪で視界は10メートルってところ。
お昼に吹雪をやりすごす目的でいったん休憩すると、今度は温和な冬空がわたしたちを迎えてくれました。

ところが、出発早々、立て続けに3回の危機に見舞われました。
まずは、スリップ。隣に乗っている夫には何らわからなかったようですが、ハンドルは大きく回転していました。
次に、前方に突然車が!!!とっさに対向車がいないことを確認し、スリップして止まらないときのことを考えて対向車線に大きくはみ出し、クラクションを思いっきりならして急停止しました。左右確認せずに出てきた車は、なんと、道路パトロールカー。しっかりパトロールしてほしいものです。
それから、交差点を青信号で進もうとすると、対向車線の車が急に右折してきました。シルバーマークをつけたおばあちゃんです。下手にクラクションを鳴らすと、それこそ道のど真ん中で停止したりして事故になりそうなので、急減速でやり過ごしました。なんとも、運転運のない一日です。

そして、やっとのことホテルに着くと、ただちにプールへと向かいました。サンパレスに泊まった理由も、3歳の息子怜がプールが大好きで、冬でもいつもプールに行きたがるからなのです。わたしは短大の卒業旅行のときに仲良し6人で泊まったけれど、夫はまだ行ったことがなかったので、行きたかったようです。

プールは、時間がまだ3時30分ごろであったせいもあり、貸しきり状態でした。そこに5人ほどの監視員の方々。ビキニを着ていたのもあって、なんだかはずかしかったです。それにしても、寒い!!家族全員鼻風邪を引いていたせいもあるけれど、寒さが身にしみるのです。早々と温泉に入りに行こうといっても、怜は嫌がります。わたしたち夫婦も楽しめるものを楽しんでおこうと思って、30分500円の波乗りを体験しました。夫がしばらく挑戦した後、怜を夫に預けてわたしも挑戦してみました。わたしは初めてでも案外ずっと波乗りすることができたし、案外サーフィンみたいに立ち乗りもできるのではないかと思いましたが、不思議なもので、時間が経つにつれて怖くなってきました。怖くなると不思議と、波もしぶきをあげて顔にぶつかってくるようになるので、あとは夫に楽しんでもらいました。夫は、コツをつかむまでには多少時間がかかったようですが、長く楽しむにはその方がよかったようです。夫の満喫ののちに時間が終わりました。

やっと、温泉に入れる!怜を連れて暖かいお風呂へと直行したのですが、それまでが寒すぎたせいか、お風呂が異様に熱く感じて入れないのです。シャワーを出しても、いつまで経ってもプールの温度と変わらない水がでてくるのです。中国人らしき方も何人かいましたが、怒りながら席を変わって歩いていました。冷たい水で体を洗って、なんとか入れる湯加減のお風呂を探してみました。幼児用と書いてあるのがあったので入ってみると、ぬる過ぎて全くあたたまらない。別なところに入りに行こうと誘っても、ぞうさんの滑り台があるので、怜はそこを離れようとしないし、もう、寒くていやになっちゃう。やっとのことで暖かいお風呂で温まって、大浴場を去りました。

大浴場からの帰り道、中国人女性に中国語で話しかけられました。宿泊客のほとんどは中国人のため、中国人に間違えられたのだと思いますが、それにしても、外国人によく話しかけられるわたしとしても、中国人は初めてで、しかも言葉は全くわかりません。わからないので「ん~ん?」と言うと、また同じ事を言ってきました。おそらく、大浴場はどこかと聞いているのだと思い、わたしは心の中で大浴場はこっちで大丈夫よと強く思いながら笑顔で「お~け~!!!」と言いながら、大浴場への道を大きく手で示しました。彼女も「おぅ~け~♪」と言いながら歩いていきましたが、真相はいかに・・・。夫と息子が20時に眠ってしまったあとも一人眠れなかったので、本を読もうと思って出かけた先で思わず足つぼマッサージに行ってしまったのですが、そのときのエステティシャンにこの話をすると、確かに、たいてい大浴場はどこかと聞いていくのだそうです。しかも、やっぱり英語は通じないとのこと。赤い暖簾のほうが女性用と伝えたくて「レッドカーテン」と言ってもチンプンカンプンなのだとか。「お~け~」だけのコミュニケーションも楽しいものでした。

マッサージの後は急に眠くなってしまったけれど、本も読んだりノート整理をしたかったので、その後12時頃まで眠さをこらえて1階ロビーでがんばっていました。周りにはたくさんの中国人がおしゃべりを楽しんでいました。地下にあるバーのようなところには皆無なのに、中国人は案外お酒を交えない交流が好きなのかもしれない、なんて思いながら、わたしはA5サイズのバインダーノートをお話し相手にしていました。12時になって、わたしも部屋へ帰ろうと思う頃には皆さん一様に帰っていきました。

翌朝、実家へ向かって出発です。怜が、ずっとホテルに居たいと言ったのには驚きでした。なにしろ、1年前にディズニーランドへ行った時ですら、「ホテル嫌い、ホテルのご飯も嫌い、早くおうちにかえってママのご飯食べたい!!」と2泊したホテルでずっと泣いていたのですから。今回は、ホテルのプールがよかったのだそうです。それにご飯がおいしくて、怜のお口にもやっと外食の味がなじむようになってきたのかもしれません。
「ずっとホテルにいてもいいけど、じぃじばあちゃんのお家に行けなくなるけどいい?」とたずねると、早く行く!!と、出発することになりました。夫が2連泊にしたいといっていたのですが、しなくてよかったと思いながら。

家族3人の鼻風邪は、その翌日である今日も続いています。

テーマ : 日記
ジャンル : 結婚・家庭生活

クリスマスまでカウントダウン

3歳0ヶ月の息子、怜は、クリスマスプレゼントをとても心待ちにしています。
11月20日の自分のお誕生日が過ぎると、毎日クリスマスはいつ来る?と聞くようになりました。
なにしろ、お誕生日には手作りのカバンやディズニーランドのガイドブックなどだったので、おもちゃが楽しみなのでしょう。何がいいかたずねると、ビー玉をころがす迷路が良いというので、積み木を組み合わせてビー玉をいろいろと転がせるものを、サンタさんが持ってくることになりました。

そんなある日、子どもちゃれんじをお友達に紹介した特典として、しまじろうのクリスマスまでの日めくりカレンダーをもらいました。12月1日からスタートなので、早くめくりたいと、それはそれは、毎日楽しみにしていました。
2部もらったので、ひとつを怜のお友達にあげると、あっというまに全てめくってしまいました。

「どうしてあかねちゃん、全部めくっちゃった?」
「まだきっと意味が分かっていないんだろうね」
「怜もわかんない。全部めくりた~い!」
「ママは別に構わないけれど、全部めくっちゃうといつがクリスマスなのか分かりにくくなるし、楽しみがなくなっちゃうんじゃないかな?それでもよければ、めくれば??」

結局、12月1日まで、怜は我慢しました。
そして、毎朝確実に一枚ずつめくっていくのです!!
わたしだったら、忘れてめくらない日などがあるし、3歳頃の子どもであれば大抵びりびりにしてしまうと思うのですが、毎日順調にめくっていくことに妙に感心してしまいます。

テーマ : 育児日記
ジャンル : 育児

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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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