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重症急性膵炎の父が退院しました!

この4月に、ずっと重症急性膵炎を患い、長期の入院生活をしていた父が退院しました。

父はおととしの10月末にすい臓がんの内視鏡検査をしたことがきっかけで11月頭に危篤に陥り、その後なんとか一命をとりとめ回復に向けて何度も手術を重ねて一度去年の5月頃に退院するという話がでたものの、尿管が切れていたことによる腎臓への尿の逆流によってショック状態となり再び危篤状態を経て、またいくつもの手術を重ね、今回退院へと至りました。

退院、とは言っても、残されている手術はあと最低でも2つあるのです。

なぜ今しないかというと、体力が回復していないためにできないのです。

で、自宅へ帰ってたくさん動くことによって体力を回復させたら手術する、というのです。

けれども、病院から帰ってからは歩くスペースも少ないために、これまで以上に体調も思わしくなく、食欲も減退して食べることもままならないようです。

母は、一生懸命野菜の料理を作って出している(これはわたしが野菜が健康の元だとしつこく言っていたためです)、というのですが、実家の食事を思い出してみて正直言っていいはずがない(わたしは実家に居るころは病弱だったので。今は風邪も引かないです)ので、内容をチェックしてみると、まず野菜が足りないと思ってポテトサラダを作っても食べないとぼやいています。

「ポテトサラダなんてダメだよ。じゃがいも自体がそもそも実は野菜の分類じゃないんだから。しかも、どうせマヨネーズなんかで味付けしているんでしょ?マヨなんて病人には最悪だよ。せめて塩こしょうなんかで味付けしなよ。」とわたしがいうと
母は「じゃあ、ジャガイモが主食のドイツ人は?」
「ドイツは長生きの国じゃないよ。そこをまねしてどうするの?」
母は「野菜はいっぱい作っている。葉物が好きだから葉っぱばかりだけど」
「それだけじゃなくて根菜類が大事なんだよね。レンコンとかも嫌いだからって、全然食べないじゃない。もっとごぼう、大根、ニンジン、レンコン、こんにゃくとか増やしたほうが良いよ」
こんな会話でした。

それにしても、病院を追い出されたということに気づいているのかということを母に話ししましたが、イマイチな反応です。
もし退院するときには、ダメならすぐに病院に戻れるようにきちんと話をつけてからじゃないと、戻してくれないということも予め言っておいたのに、全然そういう話もなく、退院できるとなったらほいほいと出てしまったようです。
母は「病院の先生の話では退院したがっていたから帰してやったみたいな言われ方されていて・・・。」というようなことを言います。これじゃあ、回復できなくて死んでしまったとしても、寿命でした、残念でしたで、話が終わってしまうと思います。病院としては責任取りたくないから一刻も早く出て行って欲しいんですから。

医療をたやすく信じてはいけませんね。

そう、医療をたやすく信じてはいけないのお話は、次のこちらのブログ記事にする、アメリカ在住のお友達から聞いた予防接種のことからもよく分かりますので、読んでみてください。


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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

急性重症膵炎の父の闘病生活と手術ミス

急性重症膵炎を患って入院した父は、かれこれ入院期間が2年目に突入して闘病生活を送っています。
闘病、と言っても、膵炎そのものが炎症をくすぶらせていて入院が長引いているわけではありません。
膵炎のために、すい臓から漏れ出した膵液が体内を溶かし、そのために破損した臓器があり、そこが回復して父自身も体力が付かないことには退院できないということです。

9ヶ月前に大腸に空いてしまった穴を自然治癒力をもってふさぐために、食べた食物が大腸へと流れていく前に小腸の終点付近でストマ(人工肛門)を作り、大腸を休止させるという手術をしたのですが、これが失敗していたということに、去年の年末やっと気が付いたのでした。

9ヶ月間、熱などを出しながらひたすら回復を待っていたのですが、これが結局手術がうまくいっていなかったということにより熱が出ていたということらしいです。

その後、手術の予定は年末になるか年始になるかという話でしたが、わかったらさっさとやってほしいものです。そうでなければ、更なる無駄な入院が続くので。

予定されていた再手術が、繰り上げられて12月21日に手術することになりました。
結果は、まずまず成功だったようです。

で、わたしと家族は、わたしがこの春出産予定ということもあってしばらくお見舞いへ行けないために、12月25~27日にお見舞いへと行きました。

25日は、函館は猛吹雪でした。渋滞しやすい函館市内が、一層渋滞していました。時間によってふぶいたり、そうでもなかったりもしたようです。
最初、わたしは函館市内についたときに眠っていたのですが、目覚めたときにあまりの吹雪のすごさと時間を照らし合わせて、ホテル直行を決めて母へ電話したのですが、ホテルは食事つきではなかったので周辺検索したところ、病院の近くのレストランが出たので、病院へ行ってから夕食へと向うことにしました。

父の様子はというと、普段であればこのくらいの手術直後だと、歩くこともままならないらしいのですが、わりとしゃっきりと歩くことも出来ていたようです。
けれども、やっぱり見るたびにやせています。特に手術前後は最低5日ほどは絶食だということもあって、1kgは軽くやせるのだとか。ただ、顔色は悪くなかったです。

母は、わたしからホテルへ直行するという電話を受けて、一旦車へと行っていたのですが、そこで親戚から長電話がかかってきたお陰で、再びわたしがお見舞いに来たという電話を受けて病室へと戻ってきました。

その後、怜がお腹をすかせているのと、吹雪なのとで、外のレストランではなく病院のレストランへと向いました。まだやっていてラッキーでした。

長々と吹雪の日に病室にいると父が心配して、追い返すようにエレベーターまでわたしたちを見送りました。

この日はクリスマスということもあって、金森倉庫のところでクリスマスツリーが見れるのを楽しみにしていました。幸い、吹雪が一旦収まって、少し寄ってもよさそうな感じでした。

けれどもやっぱり極寒ではありました。クリスマスツリーを囲んでイベントをやっているのですが、わたしはツリーを見れたらそれでいいやと思ってしまいました。とっても綺麗なツリーだったので、満足してしまったという感じでもあります。
あと、スープバーを20時までやっているのだということで、最後に3枚だけチケットが残っているからと、無料でおねえさんが3枚プレゼントしてくれました。それまでは1枚500円で販売していたものです。いろんなスープを作っている出店が並んでいて、好きなスープを選べました。美味しくて嬉しくなりました。ただ、外は極寒なためか、スープは熱々ではなくて、ぬるかったです。夫と怜は、外で食していましたが、わたしは耐えられず建物の中に逃げ込みました。
最後に、ちょっとだけ花火が打ちあがって、それを見てからホテルへと向いました。

翌日は、お見舞いメインであとはドンキホーテとイトーヨーカドーを見て歩きました。
ウィンドウショッピングに近かったのですが、メガポテトというものが200円で売っていたので気になって食べてみることにしました。
見たこともないような大盛りでした。普通のファストフード店にあるようなポテトLの3倍はあるかと思われる量でした。このときの夫のコメントが、もうしわけないけれど非常に面白くない。「ポテトの原価は安いから」
「だからなんなんだ?安くたってここまで大盛りで出してくれる店が他にあるのか?これくらい当然だといいたいわけ?家でポテトなんてやったら、北海道産のいい芋つかっていても、一袋200円もしないでできるけれど?更にそんなもの使わないで、芋を量買いしたものを切ってあげればもっと安いけれど??」じゃあ、外で買うなよとわたしは思うし、普段やたらとポテトを買いたがるくせにそういいたいのかと言いたくなる。

そのそばに、31アイスクリームがあった。我が家は実はそのときまで一度も食べたことは無いのです。いつも行っている市内のイオンにもあるんですけれどもね。
で、半年ほど前に31アイスクリームの経営者が書いた本を読んだこともあって、ちょっと食べてみたかったので、家族で皆キッズサイズをそれぞれ購入して食べてみました。ちゃんと、経営者の著書に書いてあったように、試食スプーン制度を試してみてから・・・。
怜は、試食して選んだにも関わらず、選んだものよりも別な方が美味しかったと言い出す始末でした。一体何のために試食したのかわからないです、全く。

そして翌日27日にはお見舞いに行く時間もなく、15時10分から始まる、怜の6回目で最後のプール教室に間に合うように朝食も早く済ませて帰宅しました。

帰宅後には数々の悲劇?が待っているのですが・・・
つづきは、別の記事にて書きますね。

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多臓器不全3箇所目 重症急性膵炎の父 8月10日

父は重症急性膵炎を患ってから、2度のICUを経験し、現在またリハビリも一からやり直しで少しずつですが持ち直し始めていたところです。
元々飲酒など食が原因でなったわけではなく、内視鏡検査の刺激にて膵炎を起こした父のために、膵炎事態はすっかり収まっているのですが、膵液が体の下半身を中心に広範囲に漏れたために内臓の一部を溶かしてしまいました。
そのひとつが尿管。今回5月に一旦退院できる予定だったのに、ここからばい菌が入ってしまったために腎炎を起こして2度目のICUを経験することとなりました。
更に臓器が損傷している箇所は、大腸です。ここの穴から体の中を伝って、尿管にばい菌が入り、腎炎を起こしたのです。現在は腎臓に生理食塩水を流し込む管をつけて、ばい菌が尿管に入ってこないような流れを作って対処しています。
尿管に関しては体力が回復次第、若しくは、回復を待たずに手術をやってしまう決断をしなければならないときがくるかもしれないという現状です。
大腸に関しては、大腸まで食べた食事が通っていかないように、小腸の終了点から人工肛門であるストマをつけて大腸を休ませることによって、自然に回復して穴がふさがることを待っていました。

これまで見つかっていて対処していたのはこの2箇所だったのですが、何かおかしいということで、造影剤を使って新たに小腸にも一箇所穴が開いていることを発見したのだそうです。
これに関しては先生方の方も、方針がなかなか決まらないで居るそうです。母も、小腸に穴と聞いたことでいよいよダメかと思ったらしいですが、協会病院では何やら北大病院からこうして臓器のあちこちに穴があいてしまった患者さんが移転してきて、その方も治して退院させたということですので、他の病院よりはずっと頼もしいはずなのだと思います。
それから、わたしも過去に調べたデータをぱっと思い出しましたが、重症急性膵炎では多臓器不全が起こった場合に臓器が3箇所ダメになっていれば生存率はゼロだけれど、父の場合は3箇所穴が開いてはいるけれども機能はしているので臓器不全は実質一箇所もないことになるのです。
そのため治る見込みはたくさんあるのだと母に伝えました。

しかし今回の小腸の穴の発見で、今年の退院は不可能となった模様です。来年でも怪しいといいます。わたしもそう思います。
祖母に言おうか迷うところです。先日もわたしに電話がかかってきて、それほどいい話を聞かせてあげられないと「あんたに聞けば少しかいい話が聞けると思ったのに」と、妙にがっかりされて、わたしだって別にいい知らせが言いたくないわけでもないのにという気持ちになるので、できれば電話したくないところです。母も、父の弟がお見舞いに来ていたので、様子を報告してくれるはずだというので、そう思って今日は電話しないことにしたのですが、やっぱり悪いお知らせもしておかないといけないのではないかと思うので、明日にでも電話しておくことにしました。

わたしの方は3月6日に第二子出産予定ですが、5才の息子怜も卒園式と入学式を控えているので義父母がお手伝いに来てくれることとなりました。義母は現役の保母さんで怜と同じ3月15日が卒園式のためにそれまではこちらに来ることができません。しかし祖父はキャンプ場の管理人を主な仕事としているので春は自由が利くために、1ヶ月半産前産後を通して来てくれるということでした。
みんなに話すと反応は驚き半分という感じですが、怜の出産のときにも実際には実家に帰ったのでお願いしなかったのですが義母はすぐにお手伝いしてくれると言ってくれたし、普通はお義父さんが手伝ってくれるなんてなかなかないので、第一子のときに全くわたし自身が体が辛くて動けなかったことを思い出すと本当にありがたい話です。

最近の日々の生活も実に忙しいです。
7月21日に車の単独横転事故を起こしてしまった後処理の保険申請手続き、新車購入手続き、通院が重なっている中、怜が8月4日より腹痛を起こして7~8日に入院、そして本日10日ですが丸一週間ひどい下痢と腹痛に苦しんでいます。その保険の請求、それから看病、つわりもあるのでなかなか食事の準備もままならなかったり、更に怜が入院してわたしが付き添いで不在にしている間に夫は勝手に部屋の模様替えをして、荷物をぐちゃぐちゃにしてなかなか片付かないほどに酷い状況になっています。
そんなときに、楽天を通じて申込をしたファイナンシャルプランナーとの面談が突然入り(メールを見逃していました)、自宅にはとてもお招きできない状況のためにファミレスまで急遽話しを聞きに行ってきたり。
保険の話は、プロに聞いてみると、自分では何度見直してもどうしても乗り越えられなかった壁がすっきりと晴れたという感じがしました。保険に限らず、自分で調べた上でプロに話を聞ける機会があるのであればどんどん利用した方が人生得できそうです。

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腎炎で2週間寝込んだ父。

父は、急性重症膵炎を患い、やっと退院できるという頃に、今度は腎炎になってしまい、2週間寝たきりとなりました。

その間、わたしの方はというと、5才の息子怜と自分のインフルエンザAの病み明けでした。わたしも怜も、インフルエンザと気づいたときには薬が効く日が過ぎていて、二人とも薬なしで治しました。わたしはインフルエンザBのときよりも全然かるく済んでいたので、全く気が付かなかったのです。夫ももしかしたらかかっていたかもといいますが、普通に仕事に行ってました。怜がインフルエンザAと診断された時点で症状が同じだったのですが、どうせ薬もないことですし、そのままやり過ごしました。

そして、インフルエンザのときに台湾からの卵が届き、あまりにも美味しくって一気に10個ほど食べてしまったのです。
鼻水が出ていたので、「鼻炎の人は卵を食べると蓄膿になる・・・」と言っていた、わたしのアレルギー科の主治医の言葉が思い出されましたが、やめられませんでしたf^^;
ほどなく、副鼻腔炎になってしまいました。
ひどい頭痛、顔面痛、上奥歯痛、吐き気、そして全身がだるくてインフルエンザのときには動けたのに全く動けず、ゴールデンウィークは完全に一人で寝込んでいました。鼻が詰まって苦しいというだけの話しじゃないんですね・・・・。
夫と怜は、滝野公園へ遊びに行ったり、外食してもらったりしていました。
わたしはというと、洗面器にお湯を張り、生理食塩水を作り、そこにティーツリーオイルを垂らしたもので、なんども鼻うがいをしました。ネットにこれで10年来の慢性蓄膿が治ったと書いていたからです。こんなことにもティーツリーオイルが使えるのかと感心しました。
鼻うがいはなかなか上手にできませんでしたが、3回目くらいで上手にできるようになってきました。ティーツリーオイルをいきなり高濃度で使うのは怖いので、徐々に濃度を濃くしていき、効果を高めるようにしました。慣れてくると、膿が大量に出て行くようになりました。こんなに出したのに、まだ出るのかと驚くほど、どんどん出て行きました。
内科での診察と薬だけだったので耳鼻科へも行ってみて鼻を洗浄して欲しいとお願いしたのですが、痛い薬を鼻の奥に吹きかけられただけでした。

そんな状態だったので、ゴールデンウィークに父をお見舞いに行くという話もなくなりました。
翌週の土日、12日、13日は夫が通信大学の通学だったたことと、父は呼吸器をつけて意識がほとんど無い状態だったため、見合わせていました。わたしも副鼻腔炎がやっと治ってきた感じで、調子は良くありませんでした。
さらにその次の週の14日月曜から18金曜日まで怜は入院していました。おなかが痛いということでしたが、風邪をひいたことから喉にヒブが入って炎症の数値が高くなってしまったようです。炎症値10以上が重症だそうですが、怜は入院時12以上ありました。その土日、19日、20日も、退院明けなので函館まで行く気もなく・・・。
不調が続くので、ブログも書かなければ、オークションもほとんどしていませんでした。
そうこうしているうちに、5月最後の土日を迎えようとしていました。

父は、やっと呼吸器が外れ、意識も取り戻したようなのですが、2週間も完全に動けない状態で寝たきりだったためか、退院直前でそれなりにあるけるようになっていた状態から今度は指の関節すら動かせないほどになってしまったのです。
体の感覚もほとんどなくなってしまったようです。
父は母に「左手があればよかったのになぁ・・・」と言ったそうです。
母は驚いて「ここにあるじゃない」と、目の前に左手を持ってきてあげると、
「ああ、在ったのか」と言ったそうです。

息子怜が、まだ話し始めたばかりの1歳か2歳くらいの幼いころ、「赤ちゃんは手がそこにあることを知らない」ということを教えてくれましたが、まさに似たような感じなのかと思いました。
赤ちゃんは自分で自分の体を思いどおりに動かせないので、自分の手がここにあるということを知らないのだというのです。

そんな父ですが、3日ほどもすると、間接もほぐれてきたようで、すこしは動けるようになってきたようですが、食事を一人で食べれるようになるまでには1週間近くかかりました。

膵炎でICUから出てきたときよりも割りと動けるようになっていったのは早いような気がします。
しかし、25日金曜日の朝に母に電話してみると、父が落ち込んでいて母の顔も見ないし話もしないというのです。
こういうときは、母も迷惑がりながらもわたしにお見舞いに来て欲しいようですので、急遽怜の幼稚園を休ませて、函館へ一緒にお見舞いへ行くことに決めました。
日曜日に古本市へどうしても行きたいので、翌日土曜には自宅へと帰る強行です。
片道5時間程度車を運転していきます。
わたしも大変だけれど、よく怜はおとなしく乗っているなと感心します。今回は途中で公園などにはほんのちょっと寄りましたけれど、それも毎回ではないのです。

お見舞いに行ったとき、父にはよくこうして無事にまた戻ってきてくれて嬉しいと伝えました。
病室の外を見ると、競馬場に馬と騎士が一組、練習していました。
「競馬、見れるからいいんでしょ」というと、
「そんなつもりはなかったのに」と残念がっている様子です。
「まぁ、ゆっくりしているしかないね」と、脚や肩、頭をいつものようにマッサージしました。
父は、肩や頭は痛いから止めて欲しいというので、ほんの軽くにしました。
けれども、ずっと寝たきりだとほんと痛くなっているのでほぐしておかないと辛いんです。副鼻腔炎で寝てばかりいたのでよくわかりました。
こうして金曜、土曜とお見舞いして帰りました。
毎度のことなのですが、函館に泊まると怜が咳をするんです。鼻かぜを引いてしまうというか、困ったものです。

それから、今回腎炎を起こしてからは特に祖母にまめに状況報告をするようにしていましたが、祖母との話は本当に不愉快でした。
自分の息子が病院に半年以上入っているというのに、お見舞いへ行ったのは合計しても3回くらいです。それは93歳にもなるので、片道車で1時間30分以上を行くのが大変なのはわかります。
何かと金、金という祖母。
それから、祖父の入院時に自分のときはこんなに大変な付き添いをした、という話をしたがるものだから、だれも近況報告を入れたくないのですが、「誰も何も教えてくれない、電話くれない」と言って嘆いています。
わたしだって、毎回長電話になるのに、いちいち教えてあげるのも面倒です。ただ、父にとっては母親なのでやはり状況くらいは教えてあげたいと思って電話をしていました。
そこに、祖母の昔話やら自分の考えなどを色々聞かされるのです。
これはたまったもんじゃないです。うちの両親がよく怒っていた内容を思い出します。
いやはや、よ~くわかった、わたしもただだまって聞いてストレスを溜めるのはイヤだ、けれどもうちの両親、特に母が言いたくてもいえなかったことを言ってあげるためにも、祖母の話を聞こうと思いました。
最終的には聞くことを聞き、言いたいことを殆ど全部言って、なおかつ「ばあちゃんの昔話はもう聞かない。状況報告だけはしてあげたいと思うけれども、それ以外の話は聞いても不愉快なだけだし、伝わらないと思うからもう聞かないし何も言わない。お互いに不愉快でしょう?」と打ち切りました。

そんな不愉快な話の内容の一部を書いてみると、こんな感じです。
祖母は、重症急性膵炎の補助金は出るのかと聞いてきました。
最初の聞き方は、そういう聞き方ではなくて「それは難病に認定されたのか」という聞き方でした。
わたしは、「重症膵炎=難病だから、認定されるも何も、これは難病である」ということを言いましたが、後になってお金がでるのかどうなのかが気になっているのかと思いました。
そこで次に電話したときに、「難病だからと言って全てが補助の対象になるわけではなくて、申請して、国の方でどこまでが補助対象になるかが検討されて、はじめてどの程度補助されるかが決まるよ。父の場合は入院、手術代は全部国や道が持ってくれるけれど、他のオムツやもろもろの雑費とか、母の交通費なんかで月に5~10万円程度かかっているみたいだよ。自分で入っていた保険は60日分の入院費しかでなかったよ。」という話をしました。
自営業なので、社会保険に入っているわけでもなく休業補償などもでませんし。
それを聞くと祖母は、「母が病院に寝泊りすればガソリン代かからない。私のときは・・・」と始まりました。
すかさずわたしは「寝泊りしたって食費は買ってばかりじゃ余計にかかるでしょ。大体そこに寝泊りする必要がないし、ガソリン代がかかって困っているとばあちゃんに相談しているわけじゃないでしょう?それなのに“私のときにはこうだった"なんていい出すなんて、意地悪な気持ちで母にこういう風にしなさいという風に言っているようにしか聞こえないよ。」と言いました。
祖母は「そんなつもりじゃ・・」と言いますが、いつもこういう調子でわたしの両親に話をしていたのだから、当然嫌がられます。判っていなかったのでしょうか?
それから更にこんなことも言い出しました。
祖父が昔売った土地が、300万円か400万円になって、祖父が「これは俺の退職金だな」と言ったのだそうですが、祖父が亡くなった今でもそのお金の行方が分からないといいます。で、母が今回父が入院したときに「お金がない、店の支払いだって借金だって」と言って、続けて「300万、400万」とつぶやいたといいます。
・・・・
つまり祖母が言いたいのは、土地を売った300万か400万のお金を母がそっくり持っているといいたいのです!!なるほどね、けれどもわたしは母から店の借金というか住宅のローンが全部で200万程度とだいぶ前に聞いていました。母が祖母に言う際に多めに言ったのか、単なる祖母の聞き間違いなのかはどちらでもいいと思いました。けれどもわたしは、祖母はことあるごとにお金が足りないもっとよこせというようなことをわたしの両親に言い続けていたことも知っていますし、今回このように父が入院している間にも祖母は、「祖父母が店をやっていた時代にはみんなに良くしてもらって店は繁盛してみんなにいいお店だと言われてだからお金もよく入ってきた。それなのに、父母の代になってからあんな店に行くなと言われることがあって悲しかった」などと、何度か聞いたことがあるのですがまた言ってきました。それは母の接客態度が悪いからだとも言います。

「ばあちゃん、父がね、入院してから初めてこんなことを言っていたよ。自分が店を継いだときには700万の借金があったって。わたしね、これ聞いてすごくびっくりしたよ。昔の借金って、今の値段の何倍もの金額に相当するし、利息だけ返済していてもなかなか減らない額だよ。それを今ばあちゃんが言うように300万か400万の借金にまで減らしたというなら、よほどばあちゃんたちよりも、両親の方が商売がんばっているんじゃない??そんなにいい店だと言われてお金いっぱい入ってきたはずなのに、なんで700万も借金あるのさ?確かに母はお客様に対してもびっくりするくらい態度悪いときもあるよ。わたしも1回本人に指摘したことがあるほどだもん。けれども、やれることはそれなりにやっていたということだよね、少なくとも借金が少なくなったということがそれを証明しているんじゃない?」
わたしは、他のこともフォローしておいた。
「確かに母は怒りっぽいし、いつも怒っている感じだけれど、怒りながらもそれなりに色々やってくれている人でしょう?ばあちゃんにだって、あれこれ怒りながらも、野菜持って行ったり、ご飯だって持って行こうと思うときにはばあちゃんのご飯の時間が早いからと言って早めに作って持って行ったりしていたんだけど?けれども、ばあちゃんって他人様にはなんでもやってくれたとやたらと感謝するけれど、父や母がやってあげたことに大しては割りとここが気に入らなかったとか、文句ばっかり言っているんだよね。」

これだけ言っても頭の中で一体どうなっているかまったくもって不可思議なのだが、祖母はこんなことも言い出した。「父が店を継いだときには毎月25万円くれたんだわ。それがいつまで続くんだろうと思っていたら、すぐに減った。だからあれは祖父母が一生懸命稼いで溜めておいたものをくれたんだと思った。」というのです。700万の借金の中のどこに財産があるというのだろう!?全く奇天烈もいいところだ。これを聞いた瞬間に、わたしはもう祖母の昔話を聞かないと決めました。
そしてこんなことも言っていました。
「毎月もらっていた25万はだんだんと減っていき、じいちゃんがが生きていた頃には8万にまで減った」
すかさずわたしは「いいや、違うよ。じいちゃんが生きていたときには15万と聞いている」と言いました。
祖母は続けて「8万とかに減らされたときにも、これだけくれてありがたいと思って今まで生きてきたけれど・・・」というので、この嘘に塗りたくられた面をはがしてやりたくなりました。
祖母という93歳にもなる年寄り相手にいささかかわいそうかとも思いましたが、これは少し考えてもらわないとと思いました。
「ばあちゃん、多分5年かそれくらい前のことになるかと思うんだけれどね、ばあちゃんって、年金含めて月10万円程度で生活することで文句ばっかり言っていたときがあるんだよね。わたしはそのときばあちゃん宅へ行って、わたしは月13万円で家族3人で家賃も払って怜の将来の学費の積立もして幼稚園やピアノにも通わせてやっているけどばあちゃんは家賃だって全部父に払ってもらっているしほかは自分のことにだけ使えるのになんで不満ばかり言うのかと聞いたら、年をとったからもっと自由になるお金いっぱい欲しいし遊んで暮らしたいと言っていたよ」と知らせてあげました。
「そんなこといっていたかい!?」とかなり驚いていたようです。

他にもたくさん、色んな昔話を聞かされて、色々言わせてもらいましたが、いいところほとんど言いたいことを言わせて貰ったので、「もうばあちゃんの話しは聞かない」と言い、その後は電話も手短に終わらせています。
いうならば、うちの両親もその場でプンプン怒ったり、無視したりするような感じではなくてこういう作戦をとっても良かったのではないかと思います。
ただ、わたしは一応知ってもいます。このようにズケズケものを言えるような人間ってそう多くは無いということも、わたしはちょっと特殊なタイプであるということも。

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わたしの父は運は悪くても天が見放さない人、であって欲しい 5月4日

急性重症膵炎を発症し、1ヶ月のICU生活そして半年の入院生活を乗り越えてきた父。
桜も咲く頃か、散る頃には退院できるはず・・・の予定でした。
今、五稜郭公園の桜が満開なのだそうですが、昨日までの酸素マスクが、呼吸器へと替わり、父は話すこともできなくなり、またICUにいた頃のような状態へと戻ってしまいました。

ここにきて事態が急変してしまったのです。
急性重症膵炎を患ってしまった父は、自分の体内を消化してしまいました。
幸いにも臓器を消化してしまってはおらず、唯一ダメージを受けていたのが大腸で、数箇所に穴が開いているために、回復させるためにも人工肛門をつけて、穴の開いている大腸は休ませている状態でした。
更に、骨盤内の大腸周辺のお肉を消化してしまって、残った壊死物質を取り除くべく、何度も手術をしていたのですが、そのときに尿管を切ってしまったようです。
病院側は、決して術中のミスとして認めませんが、これは膵炎による自己消化ではなく、壊死物質を掻き出したときによるダメージです。
そんな中、腎臓は生きており、尿管をつなげばうまくいくというお話だったのですが、1回目の手術がどうやら失敗してしまったようで、次の手段を模索中でした。

そういう状態でしたが、いよいよ再手術を迎えるというときに、院長先生のお母さまが危篤ということでお知らせが入り、そのままお亡くなりになってしまい、1週間院長先生はご不在のままでした。
父の手術に関しては、何かと難しかったり専門的なものが多かったり、特殊な方法を試したりで、まぁ院長先生抜きでは進まないようなのです。

そうこうしていて、延びていた手術をしようと日程が決まってまもなく、父は腎炎を起こしました。
どうやら、切れている尿管から、穴の開いている大腸からのばい菌が入ってしまってのことのようです。
5月1日のことでした。
血圧も最高血圧が60ということで、意識もうつろなようです。

緊急を要することで、脚の方からも点滴なのか、なんなのか、新しい管が差し込まれて、母が言うにはまたICUに入っていたときのような状態になってしまったというのです。重症膵炎の治療法である道中療法をやっているみたいだと。

更に翌日の2日には、血圧を上げる薬も大量に投入していて、徐々に血圧も上がってきたようです。
抗生物質ももちろん入れているそうです。
また、腎臓のほうに尿管からばい菌が入ってこないように、生理食塩水をいてれ、流れを作るようにしているそうです。
5月2日は、父の父である、わたしの祖父の命日なのですが、仲の悪い母に代わって自己判断で祖母に電話を入れました。これまでも、調子が悪くなることは度々あったけれども、これほど容態が悪くなったこともまたICU以来のことなので。
夫には止めておいたらと言われたりもしたけれど、言っておかなければならないと判断しました。

祖母の反応は予想通りで、おいおい泣いたり、祖父にお願いしていたのに何か気に触ることを言っただろうかとか、代わってやりたい、もう退院するということで待っていたのに、ということだった。
その度にわたしもなぐさめてあげるしかないのだが、祖父にお願いしたのにという話に関しては、「父は運が悪い人だ。だけど天つまりじいちゃんとかが見放していないから今まで何度も死にそうになりながらも何とか生きてきたんだと思う。天の気に触るどころか、ちゃんと見守ってくれていると信じておいていいんじゃないかな。」と話しておきました。
最初電話したときに、てっきり祖母はわたしがGWの時には函館へ行くので、気が向くなら一緒に車に乗せていくという話を大分前にしていたので、近くにくるのかと期待していたようですが、あいにく、わたしが今だかつてない体調不良で寝込んでいたために、体力も回復せず、GWの遠出は無理と判断していかないことになったのです。

わたしは4月17日から息子がもらってきたインフルエンザAにかかっていて、けれどもインフルAと息子が病院でやっと診断ついたときには息子もわたしも薬が効く時期を過ぎていたので、薬無しで寝ていました。
10日後、やっと回復したと思い、味噌作り教室へと出かけたのですが、そこで一気に具合がわるくなり、新しい風邪を引いたのだと思っていました。
インフルエンザAは、わたしは病院へ一切行かずにやり過ごせたのですが、日増しに強くなる頭痛、顔面痛、上の奥歯痛、鼻水、吐き気、腰痛、下痢・・・色んなものが一気に攻めてきた!という感じでした。たまらず病院へ行ったのですが、2度目の5月1日のときに「副鼻腔炎」と診断されました。
あぁっ、なるほど納得です。長引くインフルエンザで体力なくなっていた上に、鼻水が出ていたところ、台湾で美味しかった味付卵を取り寄せていたのが丁度届いたので、2日に渡って軽く14個程度の卵を食べてしまいました。これがまたたまらなく美味しいんです。
けれども、わたしがお世話になっているアレルギー科の先生、苫小牧のうしろ木先生から以前、鼻炎の人は卵を食べ過ぎると蓄膿になると聞いていました。まさに、なってしまいました・・・!
こんなに頭痛がひどくて、全身だるくて動けないとは、おそるべし、副鼻腔炎です。まだ1年間は賞味期限がもつ卵がたくさんあるのですが、もう卵は懲りました。
副鼻腔炎と蓄膿の区別があまりつかなかったのですが、簡単に言うと急性なものが副鼻腔炎で、慢性化すると蓄膿なんですね。

そういう状態なので、函館でも歓迎しないし、とてもじゃないけれどGWの混雑の中、長時間車で移動など考えられないのです。
わたしは内科にしか行っていなかったので、耳鼻科にも行けば鼻を洗浄してくれたりするのだろうかと疑問を持ちながらネットを検索していると、偶然、ティーツリーオイルを垂らした、生理食塩水&人肌程度の温水で鼻うがいをすると、10年来の蓄膿が治ったという話が出てきました。また、耳鼻科へ行くと鼻洗浄してくれるみたいですね。
だけど、このGWが開けないことには病院ってどこもやっていないだろうから、ティーツリーオイルの鼻うがいに挑戦してみることにしました。
オイルは、最初はたらい半分の量に2滴程度、恐る恐る毎回行うたびに量を増やしていきました。
最初はうまく出来なかったのですが、6回目くらいからやっと要領を得てきて、大量の膿が出て行くようになりました。
で、今日5月4日にはやっと全般的に軽くなった感じがするようになりました。途端に今日は2回程度しか行わなくなってしまいましたが。

そんな経験をしているので、昨日晩に思い立って母に電話しました。
「腎臓に入れている生理食塩水にティーツリーオイルを混ぜてもらうように相談できないか」と。
まったく、医療関係者がこれを聞いたらばかげていると思うかもしれませんが、わたしは母に次のようなことを話しました。
・ティーツリーオイルはわたしがそもそもアトピー改善のために入手したのだが、傷を殺菌しつつも肌の組織は痛めずに回復を助ける作用がある。
・新型インフルエンザ菌ですら、殺菌する。
・鼻うがいをするときの濃度は普通のたらいサイズに半分の水で、5~6滴ぐらいまでは粘膜にも刺激が強くなく大丈夫だった。
・医療レベルのティー対リーオイルを持っている。オーストラリアでは家庭薬として使われているし、日本で医療用として認可がなかったとしても、「医療レベル」という言葉がティーツリーには存在している。何らかの治療用としてオーストラリアなどでは活用されているかもしれないし、このような話を医師の小耳に挟んでおけば、心ある方であればもしかしてと調べたり、考えてくれるアイディアの一つにしてくれるかもしれない。

わたしも腎臓に直で薄めたといえどもティーツリーのオイルを入れるというのはどうなんだろう?と思いつつも、母もわたしの話に最初は拒否を示していたが、少し考えてくれるようになり、覚えていたら先生に聞いてみるといってくれました。
結果、ただ生理食塩水を入れてばい菌が逆流しないようにしているだけなので、オイルを入れても意味がないという回答を得たそうです。
う~ん、それではなぜ今腎臓は炎症を起こしているのでしょうか?
ばい菌は腎臓内にもういないというのでしょうか??
いなくても炎症は続くものなのでしょうか???
素人があまりにも無知な質問をしたばかりに、この回答だったのでしょうか・・・?
いや、回答がどうであってもいいです。要は相手にされない話だったということでまずは納得しました。
それでも、あの鼻うがいの威力を、先生にも見せてあげたいくらいなのですけれどもね。
鼻で、自作洗浄水を吸い上げるだけで、大量の膿が出て行くんですよ。
腎臓が全く同じとは言わなくても、殺菌作用他安全性には優れていると思うんです。
函館に居たかったなあ・・・直接先生に話ししたのに。

今日5月4日から、父は酸素マスクではなく呼吸器へと替わりました。
呼吸自体は自分でできているのですが、5分として眠ることができず、しかもICUにいた頃のように夢うつつの状態で訳が分からなくなってしまっていて、マスクを取ったり暴れたりしてしまったようです。
呼吸器をつけると、それこそ本当に夢の中で眠ることができるということもあり、本人にとっても、また夜中中看ていた母にとってもその方がラクなようです。
ただ、以前の治療中に肺に水が溜まっていたことなどもあって、また今回もしょっちゅう痰がでるということで母の手が必要だったのですが、あまり肺の状態がよろしくないようです。
呼吸器をつけると感染症の心配がある・・・ICUにいた頃に調べたことを思い出しました。

見た感じはあまりにもICUにいた頃にそっくりなのだと思います。
けれども、これは母も認識していましたが、五稜郭病院にいたときとは違って、どういう処置をすればいいのか分からず遅れをとって処置したりするのではなく、今回も早めに呼吸器をつけたりと、色々考えたうえでの対処をしてくれているということで、随分安心感だけは違うのです。
母は、それでも体力も長い入院生活で弱ってきていると心配していますが、わたしもそうかもしれないとは思いつつも、あと一歩で退院というところまで回復してきているのだから、体力は母が考えているほどには弱ってはいないと思っています。
それから、相変わらずの運の悪さだけれども、天がまだまだ見放してはいないのだと信じています。


テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

にゃんぺいちゃん 

Author:にゃんぺいちゃん 
2009年8月20日開設しました。
専業主婦9年目、男児2人の母です。家族4人とも喘息アトピーのアレルギー体質ですが、食事を中心に気をつける事で、症状がでにくい状態を保っています。ブログは、日々の子どもたちの成長の記録などを通して、母が何を考えて生きて来たのかを遺し、たとえわたしがこの世から居なくなったとしても子どもたちが読み返してみて、どんなことを母が考えて子どもたちに接して来たのかを分かってもらえたらと思って書き始めました。
趣味:読書・オークション売買・子育てのこと・アトピーのこと・お金のこと、漬物作り(梅干し、味噌、玄米づけたくあん、ニシンづけ、ガリなど)、その他生活そのものを味わっています。今は子どもとの関わりがとても楽しくて、けれども掃除がアレルゲン除去に大変有効と気づいて夜中も出来る時には掃除しているため、時間が取れないので以前よりブログにかける時間がありませんでしたが、この春次男が幼稚園に入りましたので少し書けそうです。
子どもたちのためにも、素敵な未来を創造していきたいです。
アレルギー関連の記事は、過去には良かったと思ってやっていたことがダメになったということがよくありますので、時系列に気をつけて読んでみてください。過去のことを訂正しておりません・・・。
たまに更新するので、遊びに来てください♪気ままに、色々なことを書いて行きます。

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